しんじゃいたいって思うことは「病気」だとされている。でも、酷い目にあってきたなら、しぬことは1つの自然な選択肢として受け入れられてしまう。心療内科にも精神科にも、精神病ではないと診断されてる。最初からごく当たり前の選択として、しぬという解決方法をとればいいように思う。ガスとか飛び込みとかは迷惑がかかるから論外として、ひとりでひっそりとすべてを解決する完璧な方法があることは知ってる。
なのに、そのことを隠さないといけない。 漏らせば、かまってちゃんになってしまうどころか、相手を法的な問題に巻き込んでしまう可能性もある。しぬことを選択肢に加えていないかのようにふるまわないといけないのもなかなか疲れる。その話題は禁忌として完全に封じられているような気がして、おっくうだ。 せめて冗談として言わせてくれればいいのに。
誰かにこのことを伝えていないと、「ひとりで思いつめてたなんて」なんてことになってしまう。イメージ的になんかいやだ。別に思いつめなくとも、置かれてきた状況によって死ぬことは当たり前の選択肢になって、それは精神病とかメンヘラとかでなくともそう感じるものなんだってことを少しでも示唆した時点で、僕はメンヘラとして排除されるんだろうか。
「普通に」自殺する方法はないものか。遺書に「思いつめてなんかいないよ!」なんて書いたらいいんだろうか。 普通の人が想像する自殺のプロトコルに沿わない方がいいんだろうか。 せめて友達には「自殺した」が「!?」じゃなくて「あ~そういう選択肢をとったんだなあ」程度に受け止められればいいのに。
生と死は相容れないってのが一般認識? ずいぶんと若くなったものだ・・・
・・・チラ裏失礼しました。ある19歳の戯言。