2009-01-20

図書館幽霊

人生において僕が七番目くらいに恐れていたことが、今日、とうとう起こってしまった。

僕は本を読むのが好きで、物語を楽しむという行為は自分が生きる上で欠かせないものだと思っている。当然ながら、今まで色々と読んできた中で、好きだと思える書き手を何人か見つけてきた。今日僕が読んでいた本の作者も、そういった好きな書き手の一人だった。

本には作者のプロフィールが載っていて、何気なくそれを見た僕は愕然とした。その人が、僕より年下だったからだ。

ついに、年下の書き手を好きになってしまった。十代の半ばから、いつかはこの日が来ることを予期していたが、いざその時が来ると想像以上に動揺している自分がいる。

創り手が自分よりも若いということは、つまり、その人の生み出す作品のすべてを僕は見届けられないかもしれないという、そんな危惧が一気に現実味を帯びるということだ。

幼い頃、大好きだった童話作家が亡くなったことを知った時、深い悲しみに満ちた自分の心にかすかに悲しみ以外のものが混じっていたのを覚えている。それは安堵だった。これで、その人が創ったお話を僕は一つ残らず読むことができるんだという安心感。以来、好きな書き手が亡くなる度に、悼むと同時にどこかでほっとしている自分に気付く。

こうした感情は不安の裏返しだ。いつの日か、続きが楽しみで仕方のない物語があるのに、その結末を知らないまま死んでしまわなければならないのではないか。そして、年下の書き手に惚れ込むことで、僕はその不安直視しなくてはならない。

けれども、それはたぶん数十年は先の話だし、それまでにどうにか気持ちの整理ができていればいい。だから今は、自分が好きな書き手と同じ時代に生きられることを素直に喜んでいようと思う。

ところで、強い未練があると死んでからもこの世界に縛り付けられる、などということが言われたりするが、あの物語の続きが知りたい!というのも立派な未練になりうるんじゃなかろうか。非現実的な話だが、気の持ちようで現世に留まれるなら頑張ってみようかな、と夢想したりする。

うまくいった暁には、どこかの図書館に居ついて、誰かが読んでいる本を背後から覗かせてもらうことになるだろう。無害な霊になる自信はあるので、どうか除霊などは勘弁して欲しいと思う。

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