「練習です。死刑制度は存続させるべきかというテーマで論文書け」というから、おれはまず「廃止すべきだ」というゴールに向けて書いた。おれは「廃止しても凶悪犯罪は増えん」ということと「被告人の人権を侵害する」ということ、「そんな犯行するような被告人を作った社会にも責任の一端があり、社会も被告人を更正さすという形で責任を負うべき」などをちりばめた。
で次に「存続するべきだ」というゴールに向けてもうひとつ書いた。「目には目を、人権には人権を(ry」ということと「凶悪犯人は再犯率が高いので野に放てば再び市民に害なす可能性高い、殺すべき」ということ、「取り返しがつかないと廃止派はいうけど、それは懲役刑の服役期間も戻ってこないし根拠にならねえ」などをちりばめた。
見比べてできのよさげな方(どっちだっけ)を出し終えた後、おれはへんな気分になった。あたまがぐちゃぐちゃイライラして落ち着かない感じ。
「正しい」の正しさというのは「いまのところ」「おおくのひとが」「そう考えている」という程度の正しさしかもっておらず、だからこそ理屈をこねて共感を得ればなんでも正しいことになってしまう。
ある時代において絶大な共感を得た理屈が、後世では見向きもされないことがある。
自分の意見を持つその根拠は、自分がその意見に共感しているという以上のものではありえない不安。
逆に言えば、もし存置か廃止かに関して正しい理屈があったとしても、おれがそれに共感できる保障がない不安。
それで結局おれはどうしたらいいのか、なにができるのかというと、正しい結論を出すことが原理的に不可能な以上、この段落で思考停止して投稿ボタンをクリック、パソコンを閉じるしかない。あけましておめでとうございます。