2008-12-15

祖父は従軍の記憶を僕に語ろうとしない。

はたちそこそこで中国戦争に行った祖父は幸運にも生きて帰って嫁をもらい、小さな会社を興してそれなりに経営して、子どもと孫に恵まれた。折に触れては子どもたち孫たち、つまり僕らを呼び寄せて一族のつながりみたいなものを再確認する。祖父は自分努力経営戦歴を語る。失敗談を語る。母は、昔はあんなに家族に向かって語りかけるような人じゃなかったんだけどねぇ、と苦笑する。もうさすがに年かしら。僕らはそのストーリーにそれなりに感銘を受け、それなりに受け流し、相変わらず親戚多いなぁとちょっと笑いながら挨拶を交わし、メシ食って帰る。

ところで僕は題の事実に気づいた。会社を作るまでの下積みの思い出、会社を興してからの苦労話、自慢話などはいくらでも出てくるのだが。

やっぱり忌まわしい記憶なんだろうか。祖父はきっと中国人を殺したろう。それは僕も想像できるし、想像できるってことを祖父も想像しただろう。では、これだけでは話さない理由としては不十分か? 殺すだけでなく、なにかもっと忌まわしいことに加担しただろうか? なにかもっと忌まわしいことをする戦友を止められなかったのか? あるいは、帰ってきてからの人生の慌ただしさ、華やかさの前では、単純に人生の陰として語りたくない部類の出来事になってしまっているだけだろうか? などと益体もないことを考える。

一時期小林よしのりにハマっていたころ、「祖父の世代から戦争記憶を語り聞きなさい」みたいなことを書いてあって、ああもっともだと思った僕は祖父に尋ねた。

「ねえ、戦争のころの中国ってどんなところだった?」

普段は雄弁な祖父は、しかし口を濁した。どんな返答が返ってきたか覚えていない、ということはなにか意味のある言葉ではなかったのだろう。僕は祖父がなぜこれを語ろうとしないのかよく分からないし、うまく想像もできないでいる。

一応付言しておくけど、僕は祖父が好きだ。年になってもパワフルで判断力も衰えず、仕事着を着て出て行く祖父は僕の尊敬と畏怖の対象だ。しかも孫にはベタベタに甘いっていうほとんど理想の祖父。一生勝てる気がしないモンスターだ。

だからか、だけどか、僕は従軍の記憶を強引にでも聞き出そうとするべきかどうか、決めかねている。もちろん祖父の年を考えれば、チャンスはもう短い期間にしかないのだけど。

  • 口では整理しきれないのかもしれんよ? 文字媒体とかどうよ

  • 私の祖父は晩年(本当に最期に近い頃)になって少しだけ話してくれた スマトラ島で工兵をやっていたこと、終戦後自分以外の多くの者が現地に残りインドネシア独立戦争に協力したこ...

  • 同じくゴーマニズムが話題の頃、祖父に戦争の話を聞いた。 祖父が戦争に行ったことは知っていたが、南京攻略に関わっていたと聞いて驚いた。 「何十万てことはないと思うがなあ」...

    • ごく普通に考えると 「あんなこと」=戦争だと思うんだけど

      • そこが分からんのだよねえ。 他の話もしてたんだけど、南京の話をしたところで口を閉ざしちまったのは、たまたまなのか何なのか。 増田の言うような『「あんなこと」=戦争』じゃな...

  • 自分の祖父はもう2人ともずいぶん前に亡くなって、戦争体験を聞く機会もなかったけれど。 2人ともシベリア抑留されていて、戦後数年経ってから帰還したらしい。両親や祖母に祖父...

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