2008-12-03

母と話した

母は3か月ほど働いた後に結婚,その後ずっと専業主婦をやっていた人で今は50代前半である。父の年収は相当多い方だったので,母はまったくお金の困ったことがなかった。母の生家は裕福ではないというかどちらかというと貧乏な方だが,若くして年収の高めな父と結婚したので生活に困窮するという実感をあまり持っておらず,さらに自分で稼いだ金で生活するという意義について全く理解していない。そのため,「働く母親」にはひどく否定的で娘には散々結婚したら仕事はやめるべき,子どもがいるのに働くのは母親わがままだと吹き込み続けてきた。真っ向から言い負かしたりしたこともあるが,最近でははいはいと受け流すことがほとんどだった。

ところが,この夏父が大病を患い,なんとか定年までは勤められるものの何度も手術を重ねたせいで身体が不自由になった。病気がわかる前から痴呆のような言動をするようになったので,いつ介護が必要になるかわからない状態だ。本人は気が張るからとか趣味がないからといって働きたがっているが,そうも言ってられない身体状態である。余命もあまり長くないということがわかっているのだが,貯蓄があるし…とか別に贅沢しなければなんとかなるし…と悠長なことを母は言い続けて現実から目をそらしてきた。

現実を見せたのは妹だった。現在の貯蓄額(そこら辺はそれなりに積み立ててはいる)と定年前に父が他界した場合,あるいは定年後に父が他界した場合の様々な場合をシミュレーションして母に突きつけたのだ。ここにきてようやく母は自分の名義のお金がないことに気付き,自分の生活が誰かのおかげで成立していたことに気づいた。父が他界しても遺族年金はもらえるが,国民年金厚生年金が支払われるのは,母はまだ50代前半なのであと10年は待たねばならない。子どもたちは全員働いているが,しかし全員娘なのでいずれいなくなってしまう。正直なところ生活が苦しかった時代に援助してもらえないどころか自己責任だと突き放されたのであまりかかわりたくないと思っている。まぁそうはいっても,年取ってからみじめな生活も苦しかろうとそのことは不問にして仕送りはしようと思っている。

久しぶりに会った母は言った。「自分名義のお金保証もないなんて嫌だ」と。私が,自分の食いぶちは自分で確保しておかないと不安だから仕事は続けるというたびに,笑い飛ばして薄給の夫と結婚しなければいいだけじゃない,年収1000万なんて当たり前でしょ?と言っていた母親がである。正直驚いた。確かに「年収200万なんて簡単だよね」「人間関係のいいところがいい」「馬鹿がいるところはいや,頭のいい人がたくさんいる職場がいい」「週2くらい働いてどうにかしたい」などという意味のわからないことはいっているが,少なくとも自立して生きていこうという自我は芽生えたようだ。おそらくは,とらぬ狸の皮算用をしているし,働くことに対して意識が低すぎるので年収100万もこえないだろう。地味に資格はいろいろ持っているのでスーパーパートにでるのもしばらくはプライドが許さないに違いない。年を取ってからこういう風に現実を見なければならなくなると,体は動かないは人のおかげで培われたプライド邪魔をするわ,現実的な感覚がわからなくなるわであまりいいことはないのだなぁと思ったりはするが,とりあえず働く意識が芽生えたのはよいことだ。人に寄りかかる人生に問題意識を持てたのはよいことだ。と,思った。

たぶん妹は厳し目のことを言ったのだろう。私はあまり社会制度について明るくないが,一応自分で計算してみた範囲では働かなくても贅沢さえしなければなんとかなるとは思った。老人は多少わがままでも過去になしてきたことがあるならばゆるされるとも思っているので,贅沢の範囲がどうにかできる領域を越したとしても文句は言わずに金だけは出そうとも思ってもいた。そのために貯蓄はしているし準備もできている。ただかかわりあいたくはないので,ボケずにぽっくりといってもらいたいものだと思っている。50を超えて少し大人になった母はこれからどんな人生を歩むのだろうか。やっと一人の人間として自立し始めた親を見守らなければならないこの気持ちを何と表現すればよいかわからない。

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