「何でもできる」というのと「望むことができる」というのは違うと思うけどな。スペック上の数値が多機能であったり高機能であったりというのが本当にユーザ体験の向上に繋がっているか否か。
なぜ日本を卑下するのかという話を展開したかったわけで多機能高機能マンせーという話をしたかったわけじゃないけど、低機能単機能だと高機能多機能より望むことができにくいのは明らかなわけでそれを否定してユーザ体験の向上につながることはないはず。ユーザにとってのメリットは安さぐらいだろう。企業としては別にそういう商売の方法も大いにありうると思うけど、だからといって安かろう悪かろうの外国と違って日本は高くていいものを作るから世界で通用しないとか言うガラパゴス批判は見苦しいと思う。
ガラパゴスの 正体見たり 先走り ※ 日本ガラパゴス説は単に日本の技術やらサービスやらコンテンツやらが世界の10年先を突っ走っているのを対米追従論者がひがんでいるだけとい...
しかし彼らは何でそこまで日本を卑下するんだろ。 反日自虐教育の賜物だろうか。日教組が仕込んだとも思えないが。 日本すげーみたいなのもきもいがガラパゴスとかも同じくらいきも...
「何でもできる」というのと「望むことができる」というのは違うと思うけどな。スペック上の数値が多機能であったり高機能であったりというのが本当にユーザ体験を満足させているか...
「何でもできる」というのと「望むことができる」というのは違うと思うけどな。スペック上の数値が多機能であったり高機能であったりというのが本当にユーザ体験の向上に繋がって...
いやぁそうじゃなくて、称揚されているある種の物差しが「良い」ことだというのは本当に自明なのか、あるいは、物差しはもっと多様なのではないか、という話なんだけど。 例えば、...
商品を評価するものさしがひとつだとか言う気はないから、機能を重視する人もいれば価格を重視する人もいるという話をしたつもり。ガラパゴス論者がそういうことをスルーして外国の...
この国にいわゆる「全部入り」信仰みたいのが根強くあって、メーカー側もそれに合わせたモノ作りをしている、という点はやっぱちゃんと考察しないといけないとは思うけどね。言いた...