世の中、たった二種類にしか人間を分けない『二種類人』もたくさんいる。
しかも、そういう人はそういう人なりにその世界観でやっていってる。
二種類人の例:「世の中、敵か味方か、だよ」「面白いねー/面白くないねー」「ウヨ涙目ww/サヨ氏ね」
三種類人もいる。
三種類人の例:「ウザくね?/カワいくね?/フツーじゃね?」「世の中、敵か味方かそれとも餌かだ」「痩、太、筋」
……
まあそれに比べれば、性格を四類型に分類してみようという発想はそれなりに(発想としては)上の部類だと思うが、問題は性格というものを定量的に測定し表現する指標がないことだと思うんだ。その意味では血液型は科学的ではないという批判もおかしくて、正しくは「科学の対象でない」とでも言うべきだと思う。たとえば芸術的感動が科学の対象にならないように。
ちなみに血液型について「『たった四種類』的批判は筋が悪い(http://anond.hatelabo.jp/20080929032434)」に便乗。
世の中には3種類の人間がいる。 数を数えられる者と、そうでない者とだ。