結納にウン百万とかは 経済合理性というか、ひとつの合理性はあるよ。
相手を否定するときは、たぶん、あなたは、こういう価値観に基づいて、こういう合理性を期待していたんだろうけれども
現代の価値観的には、価値観がこうだから、合理性としてはこちらのほうが良いのではないかな?
という事を考えないと、自分の価値観だけに偏ってしまって 多角的な物の見方が出来なくなっちゃうし
読んでる増田としても、どういう判断でどういう合理的にたどり着いたのかトレースしにくいよ。
もともと、古い時代の結婚というのは家と家の結婚という意味もあった、というか、政略結婚という言葉があるようにそちらが主流だった。
という事を考えると、家の格を相手に示す。自家宣伝広告費という見方も出来るし。
それこそ、格のある家ではウン百万は難しくないし。近所づきあいの見栄の費用というのは、それはそれで地方社会では合理的。
2段落目を削除、全て過去形にすれば、納得できるけれども。