どうも。身内から「あいつは左よりだから」と陰口を叩かれるほどに、左なってきた増田ですこんにちわ。
もうそろそろ非国民扱いされるかな?
僕は左なんですかね。きっと左なんでしょうね。でも、僕は自分の民族を愛していますし、郷土愛も持っていますよ。一応宗教心もあります。つまり、人が死んだ時にそれを悲しむ心があるということです。
きちんと葬式にも参加しますよ。それもコミュニケーションの一種だと思っていますからね。なにより故人に寂しい思いをして欲しくないから、という理由もありますけれど。
という風に、きちんと書かなければ、まるで血も涙もない人外扱いされそうなので、念のために書きました。
それにしても、形式に拘る人が多い。葬式が終ったら、あとは心の中で祈ってればいいんでないの?それともあれか。僕の心の中の「故人を想う気持ち」すら否定するのか。人間というのは、そこまで横暴になれるものなのか。
そこまで、僕に形式を押し付けるのかい?
結局、多様性なんて夢のまた夢で、自由なんてもっと儚い物なんですかね。自由というのは、人間がみな持っている平等の権利だという僕の考え方は、もしかして間違っているのかもしれません。
数の暴力で押し潰され、死んだ魚のような目で、その形式に従い生きるしか僕には道がないのでしょうか。僕の考え、いや、もっと言えば人間の多様性はこうも簡単に否定されてしまう物なのでしょうか。
僕はなんら、倫理道徳に反していることをした覚えはありません。なのに、自分の身内からこうも悪く言われてしまうのです。
身内というのも、遺伝的にそうなだけで、それだけで信用に足りうるという証明ではないのですよ。
時にはそうゆう血の繋がりという物が、僕から自由と考える力を奪うのです。
人間は生まれながらに人間ではありません。それと同じように、身内というのも、ただ血が繋っていれば身内というわけではないようです。
増田よ、お前なんか勘違いしてる。絶対。 http://anond.hatelabo.jp/20080911183052
いやいや、君こそ記事の内容を勘違いしないでくれよ。俺は自分が左翼だなんて書いてないぜ。 「左だ」と言われたことにショックを受けて、「ああ、俺って左なのかね。ぜんぜんそん...
ごめん。嘘ついた。勘違いしてた。 ごめん。ちょっと頭のいいフリしてみたかったんだ。自由とか、思想とか、なんかカッコいいじゃん?そうゆうのに憧れ?みたいなもんを持ってるの...
そもそも元増田で記述されている態様は「左」というわけじゃないんだがな。 何やら葬式の前後で揉めたようだが、単に自分の価値観を周囲から否定されてすねてるようにしか見えん。 ...
「自由」も「思想」も言葉としては全然かっこよくないと思う。だから?という。それを前提としてどういう自分になるかじゃないの。「自由」も「思想」も、手に入れるべき「目的」で...
自由とは所与でなく 勝ち取るものだ。 自由であること、 あり続けようとすること。 自由の名の下に自己を規定しようとし続ける意志。 それが自由ということだ。 「自由になる権利」...
おう!俺は自由になるぜ! なんか、いろいろとありがとうね!