2008-08-21

人の死

数ヶ月前、父が亡くなった。

まだ50代後半。単身赴任先での出来事だった。

週末だったので周りの人も気付かず、週明けに職場の人に発見されたときにはすでに手遅れだった。

原因は、内臓出血によるショック死。

まさか自分の父親が。

まだまだ元気でいてくれると思っていたし、親孝行もできていない。

結婚式だって見せたかった。

ものすごい喪失感だ。

父を失ってから、ずっと自問自答している。

もっと早くに兆候が発見できなかったのか。

気付けなかったのはなぜか。

なぜ単身赴任させてしまったのだろう。

せめて電話連絡を毎日しておけばよかった。

…、

私だけでなく家族みんなが悩んでいる。

どうしてもその原因について考えてしまう。

あのときああすればと後悔する。

父の場合は自宅での病死だったから、心のやり場がなかった。

仮に事故死や病院での死だったら、その関係者に気持ちをぶつけていたかもしれない。

実際にそういう人も多くいるだろう。

父親を失ってわかったことは、「人は必ず死ぬのだ」ということ。

それがどんな形であれ、皆に等しく訪れるものだし、いつどこで起こるかわからないものだ。

そんな基本的なことをすっかり忘れていることに気付いた。

人間は知能がついてしまったので、死を自分がコントロールできると思い込んでいるのではないか。

死んだのは誰かのせいだと思ってしまい、

遺族を医師関係者を訴える裁判に駆り立ててしまうのではないか。

父の場合は誰のせいでもなかった。

ただ、そのときが来ただけった。

私たちは受け入れるしかなかった。

裁判することを悪いこととは思わない。

ただ、私は「どうしても防げない死」があることも受け入れたい。

そして今生きている周りの人たちが、今幸せになるように

今の自分ができることをやっていきたい。

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