2008-08-17

そこに愛はあるのか

久しぶりに地元図書館でおべんきょ。

俺の前方には中学生らしき団体が座っていた。

案の定、と言うのは失礼かもしれないけど、騒がしかった。

友達といるとつい話したくなる、わかる。テンションも上がるだろう、比例して音量も。

なんだかな。難しい。

例えば立ち上がって一言言いに行けばしばらくは静かになるだろうとは思う。

図書館で静かにすべしというのはそれなりに正当な主張だろうし、みんなが迷惑していると抽象的な誰かを盾にすればそれなりに重みのある言葉になるだろう。

ただ説教というのは歪んでいると思うのだ。責められるべき人が決まっていてその人が一方的に悪くて。

そんな状態で変に優位に感じたりせずにしっかり相手のための言葉を紡げる人は多くない、と思う。

迷惑してる皆、なんて本当は居ないかもしれないのに。明らかなのは自分が迷惑に思ったということだけ。

自分の怒りを発散するためだけに立場的に弱い相手を糾弾する。

そういう光景は見ていて気持ちの良いものじゃないし、たぶんそんな言葉は届かない。

まあ結局帰り際に「うるさいから気ぃつけや」とだけ言ってやったが。うるさいもんはうるさい。

なんだろな、説教することが悪いとかそういう話では無くて。

気持ち悪い落としどころではあるけれど結局は愛の有無なのかもね。

説教で相手を正してやろうなんて、どこまで行っても結局自己満足でしかないと思うけど、

とりあえず目的の主体が相手なら良いかなと思う。他者のためを標榜して自分の憂さを晴らすパターンもありがちで、これは最悪。

昔居たらしい町内の子なら余所の子でも説教するおっさんというのはちゃんと子供の方を向いてたから許容されえて

そういう意味ではとりあえず自分の言いたいことだけ言って帰ってきた俺はまだ未熟なのだな、と思ったり、でもやっぱりPSPで遊ぶなら余所でやれよ、とか思ったのでした。

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