月に2回の朝礼で、一言スピーチやるんだ。社長と、重役の誰か一人と、あと若手の誰か一人が。
もう話の内容はみんな決まっていて、自分の趣味か経験の話をして、それをどうにか仕事の話にこじつけておしまい、みたいな。
ワンパターンでつまんないなー、自分が指名されたらもっと別のパターンで話をしようっと、とか思ってたんだけど、ある日の朝礼で趣味の話をし出した重役が……
仕事の話につなげずに趣味の話だけで終わってしまった。これは、いつものおきまりのパターン以上につまらなかった。だって、話のオチがないんだもん。
そっか、必ず仕事の話につなげてたのは、なんか教訓にしたいとかもあるかもしれないけど、それ以上に話にオチをつける必要があったからなんだ。
評論書いて、しかもそれでお金もらってる人にとって、オチのつかない――つまり結論がなくてつまらない――文章なんて絶対書くわけにはいかないんだ。なんかの問題について論じる以上、正しいとは限らなくたって現時点で自分なりに言える結論は出さないといけない。
どんな事件も社会現象も、時代と密接に関連してる。当たり前。
だからどんな問題についても深く考えていけば時代に根本原因を求められるし、とすると今の時代を作っているものはなに……? という疑問に行き着く。
今の時代を作っているもの……その一つは今に至る歴史と、もうひとつは「昔はなくて今はあるもの」だ。この2つの軸に分けて考えれば時代は読み解きやすい。
今あるもの……そしてライフスタイルにも考え方にも大きな影響を与えているもの……
「ネットやゲーム」という理由付けを安易に使っている論者はもちろんたくさんいる。とりあえずオチを付けるために。
でも、なんとか時代を読み解いて自分なりの結論を出そうと深く考えると、結果としてここにたどり着くことはきっと多い。
「悪者扱い」ね。軽い言葉だと思わない?