2008-07-24

その友だちが交通事故で死んだのはもう何年も前のことだ。その時はものすごく強いショックを受けたし、いまでも彼女の死について、誰とも話したくない。理解し合えない気がするからだ。

数日前の夜中に突然思ったのは、事故の瞬間、彼女は何を感じてたんだろうってことだった。無謀運転の車が突っ込んできて車外に放り出される瞬間に彼女が感じたかもしれないこと、見たかもしれない光景想像して猛烈に恐ろしくなり、泣いた。

ずっと、死はただ死だ、と考えていた。どれほど理不尽に思えてもそれは残された者の気持ちでしかない、死んだ当の本人はもう何も感じない、と。いまでもその考えが、間違っているとは思わないけど、その一方で、わたしは死というものの一面しか見たことがなかったのかもしれないと思った。そのような考えは時折死んで何かから解放されたいと考えるわたしの、言い訳というか強がりだったのかもしれない。30年以上生きてきて恥ずかしいことだが、いま初めて、死ぬのは怖い、と感じる。そうなって初めて、わたしは彼女のために泣いている気がする。それまでは、わたしのような人間が泣くのは自分のためでしかないから、恥ずかしいことだと感じていた。とはいえ、さしたる理由もなく死が怖い、と泣くのも別の意味で恥ずかしい歳なので、こっそり怖がっている。その一方で死んでしまいたい消えたいという気持ちもなくならなくてどうすればいいかわからない。

せめてこれが何かの始まりであればいいのに。

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