2008-06-17

Estabas esperada, no desesperada como él

http://anond.hatelabo.jp/20080614021405

以下、勝手な読みを押し付けるんだけども。

嫌がらせをしたり、残虐行為を妄想したり、むちゃ食いをしたのは、増田が自分を維持するために必要な行為だったんだろーね。

でも本当に増田を守ったのは、過ぎた事とはいえ自分自身をそれだけ冷静に淡々と振り返ることができること…自己客観視ができることなんじゃないかな、と思った。

他の増田にもあったが、結局自分にはなんだか分からない「いい波」が来て、それに乗れたのだと思う。それはあたかも、ぶらぶら散歩をしていて左右どちらかに曲がろうか考えた時、「なんとなく」の理由でどちらかを選ぶような偶然だったような気がする。まわりが必死になって助けてくれたとか、自分がすごい努力したとか、そういうものではない。本当に今でも分からないのだ。

「成功した理由を 『自分はラッキーだった』 と言う人間は必ず優秀だ。」

って誰かが言ってたけれど、それは、自分がラッキーな状況にいる/いたことを客観的に把握できるくらい、冷静なものの見方ができるってことで。ネガティブな状況を好転させるとか、好転した後もそれを維持するとか、つまりサバイバルに必要な資質なんじゃないかなあ。

低レベルな嫌がらせも、妄想も、むちゃ食いも、リスクを管理できる範囲内の「自分を維持するために必要な行為」だと(無意識にでも)冷静に分かってやってたのだとしたら、、、増田は未来の展望というか、可能性というか、陳腐な言い方をすると希望を捨ててなかったんでない?でしょうか?

で、そういう、未来への展望/可能性/希望/期待…みたいな色んな意味をひとことで表す単語がスペイン語にあって、esperado (エスペラード) っていうんだけど、否定の接頭辞 des- をつけて desesperado (デセスペラード) にすると、意味が反転してそういうのが全部ない状態になる。

人が desesperado になると、生きててもいいことなんか何もなくて、捨て鉢になって、頭がおかしくなってどんな事でもやってしまいそうって気分になるらしい。失恋したら desesperado だってスペイン人は言ってたけど。

それで言うと、増田は esperado だったように見える (女性だから esperada か) 。アキバで殺人をした彼は desesperado だったと思う。境遇が似てても、全く逆なんじゃないかなーと。

(題の訳: 「貴女はそのとき esperado だった。彼が desesperado だったのと違って」)

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