2008-05-22

超訳本居宣長

人間死んだら終わりなんだ。善人も悪人も、汚い黄泉に落ちるんだ。

だから死んだら悲しいんだ。ギャーギャー泣いて当然なんだ。

孔子のバーカバーカ。やまとごころLOVE。

俺も泣きたい。電車の床を転がりながら、泣き叫びたい。

追記。出典は、『玉くしげ』でした。かなづかい等、我流でなおして引用します。

さて死すれば、妻子眷属朋友家財万事をもふりすて、馴れたる此世を永く別れ去りて、ふたたび還り来たることあたわず、かならずかの汚き黄泉国に往くことなれば、世の中に、死ぬるほどかなしき事はなきものなるに、かの異国の道々には、或いはこれを深く哀れむまじき道理を説き、或いは此世にてのしわざの善悪、心法のとりさばきによりて、死して後になりゆく様をも、いろいろと広くくわしく説きたる故に、世人みなこれらに惑いて、その説どもをもっともなる事に思い、信仰して、死を深く哀むをば、愚かなる心の迷いのように心得るから、これを恥じて、強いて迷わぬふり、悲しまぬ体を見せ、或いは辞世などいいて、ことごとしく悟りきわめたるさまの言葉をのこしなどするは、皆これ大きなる偽のつくり言にして、人情に背き、まことの道理にかなわぬことなり。すべて喜ぶべき事をも、さのみ喜ばず、哀しむべきことをも、さのみ哀しまず、驚くべき事にも驚かず、とかく物に動ぜぬを、よき事にしてたっとぶは、みな異国風の虚偽(いつわりかざり)にして、人の実情にはあらず、いとうるさきことなり。中にも死は、ことに哀しからではかなわぬ事にして、国土万物を成し立て、世の中の道を始めたまいし、イザナギ大御神すら、かの女神のかくれさせ給いし時は、ひたすら小児のごとくに、泣き悲しみ、こがれ給ひて、かの黄泉国まで、慕いゆかせたまいしにあらずや。これぞ真実の性情にして、世人も、かならず左様になくてはかなわぬ道理なり。それ故に、上古いまだ異国の説のまじらざりし以前、人の心なおかりし時には、死して後になりゆくべき理屈などを、とやかくやと工夫するようの、無益のこざかしき料簡はなくして、ただ死ぬれば黄泉国にゆくことと、道理のままに心得ておって、泣き悲しむよりほかはなかりしぞかし。そもそもこれらは、国政などには要なき申し事なれども、皇神の道と異国の道との、真偽の心得にはなり侍るべき事なり。

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