タイトルがすべてです。以下蛇足。
最近、店先などで「どなたでもご利用できます」などと書いてある例が目立っているが、ここでは謙譲語ではなく尊敬語を使うべきなので「ご利用になれます」と書くべきである。言葉は移りゆくもの、とはいうが、この誤りは敬語の基本ルールを犯すものであり、この点だけ例外を作ってしまうと敬語のルールが複雑になってしまうので、素直に受容しがたい。
数年前、どこかのATMに「すべての金融機関のカードがご利用できます」と書かれているときには、変な書き方をする会社もあるもんだ/社内で誰もチェックしないでくぐり抜けてしまったのだろうか、とか思っていた。しかし、気がつくと「お試しできます」とか「ご選択できます」とか、あれよあれよという間に増えていて、放っておくとこれが正しいものとなってしまいかねないような気がしてきたので一言書いておく。
客が主語になる言葉に「ご利用できます」と書くのは間違っている。日本の敬語のルールからすれば「ご利用になれます」と書くべきだ。
日本語の敬語は大まかにいって尊敬語、謙譲語、丁寧語に分かれる。謙譲語Iと謙譲語IIの話は置いておく。
尊敬語とは、その動作の主を敬うときに使う言葉だ。「社長が昼食を召し上がる(←食べる)」
謙譲語とは、自分(側)の動作を卑下することで、相手を相対的に上に見るときに使う言葉だ。「私が参ります(←行きます)」
上記2つの例は、それぞれ敬語のための特別の語彙(召し上がる・参る)を使って尊敬・謙譲を表現したが、そういう特別な語彙がない動詞もたくさんある。そういうときには、一般的な尊敬語・謙譲語の作り方のルールがある。
「お」と「ご」の使い分けは、一般的に動詞が和語か漢語かによる、とされている(「お書きになる」「ご同行する」)。しかし、「お電話する」のように、漢語なのに「お」を使うものも少数ながらある。いずれにせよ本筋からは外れるので戻る。
上記のルールからいえば、「利用する」を尊敬語にすれば「ご利用になる」、謙譲語にすれば「ご利用する」になるということが判る。で、これに可能の意味+丁寧語を付け加えると、尊敬語「ご利用になる」は「ご利用になれます」、謙譲語「ご利用する」は「ご利用できます」になる。尊敬語を使って客を敬っているつもりで「ご利用できます」と書いてしまうと、謙譲語を使っているので逆に客を下に置いてしまうことになるわけだ。
以上から、店先などで客の動作を表わすものとして書くならば「ご利用になれます」と書くべきであることがおわかりいただけたことと思う。
「ルールが先にあるのではない。言葉があって、それを書き表したものがルールなのだから、言葉の運用が変われば、それに従ってルールを書き直すべきだ」という意見がある。これは言語学的に言ってまったくもって正しい。私も基本的にそうあるべきだと思う。しかし、今回の場合、全体のルールとしての尊敬語と謙譲語の作り方自体は堅持されている。誰も自分の行為を「私がお書きになる」と言ったりしない。駅の車掌は「ご乗車になりましたら……」と言うし、デパートの館内放送は「ご案内いたします」と言う。ただ、可能の意味を加えようとするときだけこのルールがねじ曲がってしまっているのだ。これだと、前述のルールに、可能の意味のときだけ例外をむやみに付け加えることになる。言語のルールはシンプルな方がよい、と思うなら、このまま「ご利用下さい」を容認するわけにはいかないと思う。
御社の発行物などの各種説明にこんな言葉遣いがないかどうか、週明けに一度ご確認くださいますようお願い申し上げます。なお、この文章は他者への説明にあたって自由にご利用になれます。