元増田です。
思ったくらいにはブクマがついてくれたのが嬉しかったです。
じつは個人的にはそんなに捨てることは嫌いなことじゃないのです。
なんか、一瞬でも客観的な冷静な視点が外部から加わったのを感じたとき、自分にとってのそれ(新聞や絵やサークルやコレクション)も客観的なモノになってしまうというのが、一番的確な表現かもしれません。
いわば、単なる古紙や落書き、集団、雑貨になってしまうのです。
だから、他者に対するあてつけという気分は若干あるかもしれない(そのときの他者の表情がみたいからやってる部分はあります)にせよ、「思い通りにならないから癇癪おこした」ってのはちょっと気分がちがいますね。
その後、後悔することはまったくないんで。
後、コレクションで一番多いものから捨てるってのは、実は1つの捨てる際のテクニックです。
例えば、ニコ動で初音ミク関連をやまほど集めてたとします。(自分はニコ廚じゃないので、やりませんが)
でも、あるとき、客観的に見て「これって、そんなに大事か?」って気分が来る日が必ずあります。
別に集め終わって1週間とかじゃなくてもかまいません、2年先、3年先でもいいのです。
そうしたら、いったん全部捨ててしまうのです。
すると意外と実はそれが自分にとって、そんなに大事じゃなかったことに気づいたりするんです。
僕は基本的にモノを捨てられないので、捨てるときはそういう荒療治をする必要があるんです。
でも、そういうやり方をすると、妻や母は「あんなに大事そうに集めてたのに...」みたいな気分になるらしいんですね。
もっとも、それができるのは本当に必要ではなかったものです。
やっぱり、本当に自分の支えになってるモノではやらないです。
多分誰でもこういう気質はあるんだろうと思うけど。 僕はどうやら、自分が大事にしていると他人に見えるモノほど、ちょっとしたきっかけできれいサッパリと捨て去ってしまうようだ...
元増田です。 思ったくらいにはブクマがついてくれたのが嬉しかったです。 じつは個人的にはそんなに捨てることは嫌いなことじゃないのです。 なんか、一瞬でも客観的な冷静な視点...
自分の思い通りにならない(自分が思うように存在させてくれない)物なら存在しない方がマシという系統の完璧主義の匂いがする。 人からケチつけられたらそこでおしまい。自分のコ...
鉄道模型を捨てられた、に話が続くのであった。。。。
好きな料理を最初に食べるか最後に食べるか、みたいな話に読めた。
非常に共感するところの多い増田であった。特に最初の新聞紙。おそらく自分もまったく完全に同じ振る舞いをしただろうと確信する。 ケチがついたり、茶々が入ると、もうどうでもよ...