2008-01-31

結婚独身者墓場である

確かに結婚独身者墓場であるかもしれない。だが一身の始末を二身に背負うのが結婚であるなら結婚は新たな「我」の誕生ではあるまいか。そしてそれが「我」である限り、そこに拘束されるのもされないのも我が心一つであることに何か変わりがあるものか。一身の始末に未練を断ち切れないのが人間である一方で、たとえ片身を失っても最悪「我」は持続することが可能だと考える人間の方がいっそスッキリと身の始末をつけられるものかもしれないではないか。

そもそも結婚が「永遠の誓い」だというのは幻想であって、たとえどんな状況でも人間に約することのできるのは「今この瞬間の誠実」のみである。今この瞬間をあたう限り永遠に持続することが結婚なのだと思う。結婚しても、常に今この瞬間に殉ずる気持ちが失われることはない。

…と自戒を込めて書いてみる。

http://anond.hatelabo.jp/20080131173633

記事への反応 -
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