書くところが無いのでここに書きますね。
人を殺してはいけない理由、それは「人を殺すと自分(と身内)が殺されて切りが無いから」です。
大昔は自力救済の世界ですから、人を殺すと報復で加害者が殺され、加害者の家族がまた殺し返すといった具合に報復の連鎖を生み、結局部族同士の壮絶な殺し合いになったりして大変だったそうです。(今でもそういう地域は存在します。)。そういった歴史の積み重ねから、一人の殺人のせいでみんなが迷惑するのは不合理だということが人々の共通の理解として生まれ、「人を殺したら加害者も死刑にされる」、いわゆる同害報復の制度が自然と整えられていきました。それが現代では国家が代行することになって、裁判と死刑制度となったわけです。よって現代において人を殺してもいいのは戦争時と正当防衛の時のみですが、それすらも厳しい制限が課せられています。
そういった経緯を知っていると、この話を哲学的な話題として持ち出すのには違和感がありますね。単に社会制度の話だと思うので。
それも一側面での事実だけどそれだけが全てではないと思うが 社会制度の観点から言えばそうなるし 哲学的観点から言えばまた違う答えが出てくる 何にせよそういった数々のものから「...
元増田です。この話題をするときには、最初の問いの裏にある問い、 「なぜ戦争では人を殺していいのか」 にまず着目すべきだと思うのですよ。これが私には社会制度の面以外では説明...
「なぜ戦争では人を殺していいのか」 敵であるから=仲間でないから、仲間のために、ではだめなの?
「なぜ戦争では人を殺していいのか」 ではないでしょ 「なぜ戦争では人を殺すべきなのか」 なんじゃないの?
「殺していい」なんて誰が言ったんだ? あれは「殺さなければならない」だろ。
というか、「戦争中に人を殺してよい」というのが既に社会制度の面の捉え方になっていないか? 戦争中に人を殺してよい、の「よい」というのは、国から犯罪として罰せられない、と...
殺した責任がどこに行くのかだけ気になる
これまでの歴史的には勝った国は責任には無くて 負けた国には賠償等をする責任があるみたいだね