2007-11-28

フィクションノンフィクションについてつらつらと

フィクション
[fiction]虚構。小説
ノンフィクション
[non fiction]小説の種別の一。

事実小説より奇なり」というけれど、それはつまりたいていの事実物語よりも平々凡々でつまらないということを逆説的に説明しているのであろうし、「時に」という前置詞があってはじめてこの言葉が成り立つのだろうと思う。

冒頭の引用にあるように、僕は「ノンフィクション」というものが厳密に成り立つとは思っていない。だけれど、「事実」と銘打たれたものに必要以上に(先ほどの前提に立てば、フィクションノンフィクション等価である、とはさすがに言い切れないけれど、客観的にみると必要以上だと思う)惹かれる自分も自覚していて、そろそろこういう感覚に名前をつけるべきだと思うのだけれど、これはどういうことだろうと思う。

例えば、ケータイ小説だとか、各種2chのまとめだとか、電車男だとか(これは前者に包括されてしかるべきだとは思うのだけど、事実かどうかが結構話題になっていたように記憶しているので別記する)、実際どうかは兎も角、「事実あったこと」を前提としての盛り上がりであるというのは先人の指摘するところである。

語学の習得にはその言語圏の文化をある程度知る必要があるけれど、物語を理解し、楽しむためには、その虚構世界の成り立ちをある程度理解する必要がある。例えば、「剣と魔法世界」という言葉があって、「現代日本」というくらいの説明力があるけれど、それに慣れ親しんでいなければなかなか理解は難しいだろう。つまり、「実話に基づいた物語」という惹句世界設定を示しているのではないだろうか。実話には魔法は出てこないし、死者は生き返らない。そして、実話の基となる現実世界は読者がいちばん慣れ親しんでいる世界である。

実のところ、現実世界現実的である必要はない。世の中には死に至る難病があり、犯罪が発生し、人々は難しい言葉など使わない。ある側面からみればどれもこれも正しい。けれど、これを組み合わせすぎると、嘘くさくなる。この嘘くささはつまり、自分の生きてきた世界との差異である。ケータイ小説女子高生あたりに(と敢えて書く)受けているのは、彼女たちの経験の少なさであり、未来の大きさを示しているんじゃないだろうかと思う。そして人々が「実話」に惹かれるのは、自分が(どういう立ち位置で登場するかは兎も角)体験した、或いは体験するかもしれない世界に構築されているからではないかと思う。

  • 「事実」であるという背景に心惹かれるのは、その物語が「時間」的にも「空間」的にも自分と接触する可能性に満ちている魅力のせいだ、という要約でいい?違う? 兎にも角にも、キ...

    • あなた只者ではないわね! 素晴らしい! でも・・・急がないと。 また、ゆっくり、お話聞かせてくださいね。 http://anond.hatelabo.jp/20071128205604

    • 彼女らのいう「共感できる」「私たちの現実」という感想は、「私たちにも安定的な物語可能性が満ちているのだ」という主張であり、見出せないままでいるプロットへの夢想(希求)...

      • 今の不安定で不安でしょうがない世界 そうだ、それだ! 不安な世の中だからこそ、それが同じような世代の作者または主人公によって意味づけられていく(物語化される)ことに惹か...

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