私の年齢は23。これは、さだまさし氏が『精霊流し』を発表した年齢と同じだ。私も作曲とか作詞とか、そんなことをやってるけれど、『精霊流し』のように人の心に響き渡るような歌詞を描くことは到底できそうにない。
私と同じ23の頃、あれほどの素晴らしい歌詞を描いた彼は、やはり詩の天才だと思う。詩だけではない、もちろん曲も素晴らしく、ラジオやテレビでのトークも面白い。それに『眉山』『解夏』など、小説まで書けてしまう。紅白歌合戦の後の、彼の番組の視聴率が高いのは当然の結果だとしか言いようがない。まぁ、だからこそ13億もの借金を完済することができたわけだが(彼は二十代の頃、自作の映画『長江』で大コケした過去がある)。
彼が背負った額の借金を返済することは、当然一般人にはできない。年に100万返済すると1300年かかり、年に1000万円返済したとしても、それでも130年もかかる。…130年前って、江戸時代じゃん。
そんなことはさておき、やはりさだ氏の歌詞センスは素晴らしいと、改めて思う。彼は、聴く人に変な疑問を残さない。自身の感情を簡潔に、しかも余すことなく伝えている。以下で「1/3」という言葉について取り上げるが、その同じ言葉でも、SIAM SHADEと比較すると、用いるセンスに差があるのがわかる。
まずはSIAM。
『1/3の純情な感情(抜粋)』(作詞・曲:SIAM SHADE)
壊れるほど愛しても三分の一も伝わらない
純情な感情は空回り I love you さえ言えないでいる my heart
長くて眠れない夜が君への想い 「それは恋なんです」と囁くよ
とめどなく語りかける揺れる鼓動は 微熱混じりのため息へと変わる
Give me smile a shine day
君のsmileで凍てつく夜の寒さも Good こらえられる
壊れるほど愛しても三分の一も伝わらない
この歌詞を見て、多くの人が「なんで1/3なのさ」と疑問を持つと思う。「じゃあ残りの2/3は何なのさ?不純な動機か?」なんて突っ込みが入れられそう。もし川本真琴のように『1/2』だったら、それが何を意味しているか勘が付くし、付かなかったとしてもキリがいいから、それはそれとして流せる。けれど、どうして「1/3」なのか。この疑問を、さだ氏は『生きることの1/3』で解消している。
生きるということの 1/3は哀しみで出来ている
生きるということの 1/3は悔しさで出来ている
残りの1/3はね 笑うことで出来てるはずさ
きっときっと生きることは そんな風なものなんだ
泣きすぎても 悔しすぎても 笑いすぎても きっといけないのだろう
1/3は何処まで行っても 割り切れることがないように
生きるということも 何処まで行っても割り切れないのかな
きっと人を愛しながら きっと人を憎みながら
その手のひらに 最後に残る 1/3は きっと笑顔なんだろう
生きるということの 1/3は哀しみで出来ている
生きるということの 1/3は悔しさで出来ている
残りの1/3はね 笑うことで出来ている
歌詞で太くした部分だが、つまり「1/3」は「割り切れない」と言うことを表現するための言葉を指している。それをSIAMは明らかにしないまま「なんとなく」使っている。
考えてみると、恋愛も人生と同じく、割り切りにくいものである(「同じく」という書き方はおかしいかもしれない。恋愛は人生の一部だから)。たとえば「友達/恋人/結婚相手」がいい例だと思う。この3つの異性に対する見方は、割り切れないとはいえないけれど、割り切るのは非常に難しい。だから「友達以上、恋人未満」なんて言葉が生まれてくる。また、異性を恋人として見るか、結婚相手として見るか、それだけでも価値判断が異なってくる。この「割り切れなさ」をSHAMはもっと表現するべきだったんじゃないかと思う。
増田の1/3がコピペで出来ているのは既に常識ですが、そ この歌詞を見て、多くの人が「なんで1/3なのさ」と疑問を持つと思う。「じゃあ残りの2/3は何なのさ?不純な動機か?」...
…130年前って、江戸時代じゃん。 なんというゆとり。 あ? 23はゆとり世代じゃねーな。じゃあただのバカか。 1877年 - Wikipedia。 いまさら「さだかっこいい!」「明快で完結した...
年に100万返済すると1300年かかり、年に1000万円返済したとしても、それでも130年もかかる。 俺も無金利で13億借りてみたいです。