何年か前にえらくひどい状況におかれてて、自分では気付いていなかったのだが、鬱的な症状だったことがある。そのころは電車を使うことが多かったんだけど、毎日毎日、電車が来るのを待ちながら、線路がよんでる気がしてた。あぁあっち行けばいいんだなぁって漠然と思ってた。なんだか二度寝するときのような気持ちであっち行きたいなぁいきたいなぁでも今いったらあれとかこれとかできないしなぁと思っていた。
たまにホームぎりぎりまで言ってしまうことがあった。ホームは意外に高さがあるので、下を覗き込むとちょっとためらう。さすがに。ここから降りるの大変そうだなぁ、こけたら痛そうだな、とかそういうことを思って下に降りたことはない。
当時は死にたいと思ってるだなんて思ってもみなかった。ただ行きたかっただけだった。その方が楽なような気がしていただけだった。たぶん止めたのは理性じゃなくて、また別なものなのだろうと思う。言語化できない何かが、死にたくないと思ってて、たとえば体が死ぬことを畏れていて、無意識のうちにどこかでブレーキをかけていたのだろう。私の場合はいたそうだなとかあれとかこれとかしないとみたいなものがブレーキになった。なんだかあほみたいな話なんだけど、電車に飛び込んだら痛いどころじゃないのに、線路に降りるときにこけたら痛そうとか考えている時点でかなりいっちゃってるんだと、当時は全然そんなことには気付かなかった。乗換えが楽だからって、後方車両のほうで待ちながらそういうことを延々と考えてるんだ。後方車両のほうは電車のスピードが速いから死ぬ確率が高いとかそういうことを考えてるわけじゃない。もうめちゃくちゃだ。意味がわからない。
なんかそれでも我に返る瞬間があったり、もしくは精神的にも波があったので全くそんなことを思わない日もあって、冷静に自分を振り返ることがあった。そういうときにとても怖くなるんだ。じっとりとした汗がでてくるんだ。そういう時はいつも怖くて、白線からだいぶはなれて待っていた。壁があるときは絶対に背中を壁から離さなかった。そうじゃなきゃまたふらふらといってしまいそうな気がして怖かったから。
今でもちょっと怖い。あのホームの高さも怖いし、混んでるホームも怖いし、電車の隙間も怖いし、白線を越えるときはそうとうどきどきする。けどもう線路に呼ばれることはなくなった。もしまた、呼ばれることがあったらどうなるかはわからない。踏み越える前にとどまることができるだろうか、と考える。でも、とその後に続ける。行きたいなと考えることと実際に行ってしまうまでにはずいぶんいくつもの関門があって、言語にならないものをひとつひとつなだめて納得させていかなきゃいけないんだ。その一つ一つを私は一気に飛び越えられなかった。飛び越えられない人なのか、単に飛び越えるほどでもなかったのか、それはわからないけれども、少なくとも私の中で私をあちら側へ行くのを引きとめようとする力は存在するのだと知った。それを忘れないようにしようと思う。
「恐い」という感覚はわかる気がする。私も自殺未遂の数日後、床屋に行ったんだけど、顔剃りのときカミソリの刃が首筋に近づくのがものすごく恐怖だった。理由とかはわからん。
11:43pm (November 08) 肉舐め 酒は眠くなっちゃうな 舐めただけで Nicky ポッピーにしておけば?>酒 Nickname それがまた、ビールと焼酎しか美味しく飲めないっていう 11:45pm (November 08) Nicky 肉舐...
直は愚に劣るが覇に勝る。
うまい。10ポイント進呈!
偶蹄類。有り体に言えば畜生道。 パーは、けだものには勝てない。