まあ、皆さんご存知の通り、和歌の本歌取りに見られるように、パロディは日本の伝統芸化している。ニコニコのMAD文化は、結局、本歌取り(パロディ・合成)と、連歌(リアクション芸)が混じったものであり、日本文化と相性が良いということなのだろうと思う。
それで、この場合の問題は、ニコニコは、新しいネタを発見し、発展させるシステムであって、新しいネタを生むシステムでないということだと思う。ネタのリサイクル、コンテンツ・エコシステムと言えば聞こえがいいが、外部からのネタ供給がなければ、息の根を止められてしまうという寄生虫システムだ。
そして、これは、日本文化の弱点でもある。のかもしれないが、大陸国家と海洋国家を兼ねることが出来ないという説があるように、要は、前者を選ぶか、後者を選ぶかという選択の問題なのだろうと思う。さらに言えば、前者の場合、新しいネタを発見するシステムを最適化することによって、「無から有を生む」システムがないという問題点を(ある程度)カバー可能のような気がする。(もちろん、後者にも弱点を補強する何らかのシステムはあるだろうが)
さて、戦後最初のオタク文化は、戦争という強烈な一次体験が元ネタだった場合が多い。では、現代におけるオタク層の「強烈な一次体験」とは何かというと、完全フィクションであるメディアを通じたアニメ・漫画・ゲームの体験だった時期を超えて、半現実・半フィクションのネットでの体験になりつつあるような気がする。(エヴァの庵野は、原体験がメディアを通じたフィクションであり、それがネタ元だった時代のクリエーターである)
では、その世代はどんな作品を作っていくのだろうか?その辺が今後の「みどころ」ではないだろうか。