私「おう、どうリッチなんだ」
友「100円なんだ」
私「それはなかなかリッチじゃないかー」
友「いや、100円だぜ? 小学生ぐらいの子が、『リッチなんだよ??』とかいってんの見てよ。でも100円だぜ?」
私「ンだとこの野郎ォ??!」
おまえだって、ガキの時代があっただろう。
あの当時、手のひらで鈍く光る100円の輝き。そして100円を握りしめて駄菓子屋に走る、あの心のキラメキを忘れたのか?
ガリガリ君は昔50円だった、ああそうだった。
だが、50円と100円では穴のある、なしだけじゃない、そこにはもっともっっと大きく違う何かがあったじゃねえか。
俺らは仕事して、
あの当時に得られなかった何かを「大人買い」などという代償行為で埋めようとしたって、ダメなんだ。
モノじゃねえ...そんなんじゃねえんだ。
100円硬貨一枚、これで今日は何を買おう!!
その無限の選択肢は、若さ故の特権、将来が無限の可能性と同一であったあの時代だったからこそ思い描くことができた夢だったのかもしれない。
俺らは年を食うと「でもよ」「しょせん」なんて言葉ですぐあきらめちまう。
だが、手が届かない何かに対するあこがれ、期待にワクワクと胸を膨らませる、そういった”心”を俺達はもう一度取り戻すべきなんじゃないのか。それこそが、童心に帰るっていう言葉の本当の意味なんじゃねえのか。
ぇエ!? てめえは、そういう気持ちを馬鹿にするってのかぁ!!
私は泣きながら友人の顔をグーで、ぼかり、ぼかりと殴り続けていたという。