どうして人は愚痴を言うのか。
吹奏楽部の後輩と話していると、いつも決まって私の友人の愚痴になる。こういう時、本来私は友人のフォローをすべきなのだろうけど、このときばかりはさすがに友人が悪いと思った。友人も、その後輩の悪口を言っていたからである。
友人が私にしてきた後輩の悪口は、いかにもその人達を見下した物だった。価値観が気に食わないとか、自分の好みのタイプじゃないとか、頼りにならないとか、そんな、どうでも良い物ばかりであった。友人は後輩に、直接的には悪いことをしなかったけれど、どういうわけかそれが後輩に伝わってしまって、結果、後輩は私をいつしか愚痴のはけ口にするようになった。
どうして、間接的にしか言っていなかった悪口が、後輩に伝わってしまったのだろうか ?
同じ人間とずっと過ごしていると、その人間が考えてくることが、おぼろげに見えてくることがある。その人が嘘をついていない限り、言葉というのは、あくまで本人の思考を介して発せられるからである。
人間は、何か自分に都合の悪いことを人に言われた時、どうしてその人はそういったのだろうか、ということを考える。自分のことを考えて言ったのかもしれないし、もしかしたら、単に考えなしに悪態をついただけかもしれない。でも、そんなことは一つの言葉からではわからない。
しかし、そういった経験を何回も繰り返していくと、段々、一つの言葉からでは見えなかった思考の輪郭が見えてくる。つまり、「この人がこう考えていると仮定しないかぎり、ああいった言葉は出なかっただろう」という推論を、無意識のうちに組み立てるのである。あたかも、角度の異なる複数の直線が織りなす包絡線のように・・・。
ところが、ここで重要なのは、そこで自分が確信したその人の思考というのは、あくまで自分の推論に過ぎないということである。そのものズバリという言葉を言われたわけではないのに、その推論を本人に話せば、結局、そんなことは考えていない、と言われるだけなのだ。
それで、結局どうするのかというと、その自分の推論を、本人と関係のある第三者に話して満足するのである。「自分はこう考えた。これはあなたの目から見ても明らかだろう ?」という具合に。単なる相談であるはずの愚痴に共感してもらえないと、何となくイライラする理由というのも、ここにあるような気がする。
以上が、今回の一件で私が考えた、人が愚痴を言う理由である。
そういったこともあって、自分は、一番汚いやり方というのは、汚い価値観を持っているのに、あえてそれを口に出さないことだと思う。
結局そうやって心の内を見せないやり方と言うのは、常に自分の逃げ道を用意しているからで、つまり自分の価値観に自信がないからだと思う。自信がないから、人にその核心をつかれるのが嫌なのだ。
けれど、どの道表現の受容者はいずれ核心を推論することになる。だから、汚い価値観をなくすか、あるいはそれを言葉に出すかしない限り、愚痴を言われても文句は言えないだろうな、と思った夏の夜であった。
ある程度的を得ているとは思うんだけど、でもこれを守ったからといってグチを言われなくなるの? 洞察はすごく興味深いんだけど、具体的な解決策とかが書かれてなくて鬱な文章にな...
このあいだ、職場の女どもが上司の愚痴を言っててドン引きしたのをふと思い出したよ。 誰かが愚痴を言い出したら、その不満か敵意かなにかが具体化してしまうってことなんだろうな...
わざと新人の前でやっている。 新人に上司への不信感を植え付けるために。 そういう意味で悪質であり、組織が腐っていく一つの要因。 上司は不満についてオープンな態度をとるのが長...
いや開き直られても。 上司は不満についてオープンな態度をとるのが長期的にはよい戦略なのだが。 おそらく行き着く先は、お飾りで決済機能以外は使われない上司と雰囲気で動く部...
元増田は確かに開き直りで見苦しいねぇ。 上司は不満についてオープンな態度をとるのが長期的にはよい戦略なのだが。 おそらく行き着く先は、お飾りで決済機能以外は使われな...
http://anond.hatelabo.jp/20070814014634 気に喰わない(自分とは違う)人間を見つけると、自分とどちらが正しいか、という二元論に陥る。そして相手を否定することで、辛うじて自分のアイデンテ...