2007-06-11

anond:20070611034211

こんなことをトラバで書くのもどうかと思うけど、あなたに触発されたので自分も友達のことを書く。

私には友達が居る。ほとんど地元の友達で、小学校中学校の頃の友達だ。今は地元を離れて23才にもなってまだ大学生をしているけれど、帰省をした折なんかに彼ら彼女らと話すと、それが1年以上ぶりの再会だったとしても昔と変わらず話ができる。

正直な話、彼ら彼女らと久々に話したりするときになると、ものすごく不安になる。みんな地元でお互いこまめにやり取りしながら生活してて、そこへぽつんと帰省してきた私に彼らの輪の中に入る余地はあるのだろうか?と。だから連絡を取るときも、あれこれ頭の中で葛藤をしてそれから清水の舞台から飛び降りるつもりで電話なりメールなりをする。相手は私のことなどどうでもいいと思っているかもしれないけれど、私は会いたいのだし、その気持ちは形にしなければ伝わらないと思うからだ。

でも実際に話してみると、幸いなことにそれは杞憂に終わる。本当にありがたい。

なんで自分に友達が居るのか?というのは何度となく考えていたことだ。私は性格が悪い。最近はさすがに押さえることができるようになったが、小学校中学校の頃は腹が立ったら嫌みや罵倒何でもござれで口喧嘩をよくした。それで友達を泣かしたりしたことも何度かある。それなのに今も付き合いを続けてくれる。

こういうことを考え始めると、単純に彼ら彼女らは私を腫れ物のようにして、それで持ち上げてくれているだけなのではなかろうか?とも考えてしまう。でも、実際に話していると、本当に友達としてつきあってくれているみたいだと感じられる。

だから、友達の真意がどうであれこうして話をしてくれているだけで十分だと思うようにしている。もし内心裏切られていたとしても、私はそれだけのことをした人間なのだと受け止めようと心に決めている。

私に取っての友達とは、そんな感じ。

記事への反応 -
  • 中高と一応いたのだが、なんていうか、その場限りの友達だった。クラスが変わったらなんとなく自然消滅しちゃうような感じの。そういう友達を毎年作ってはやり過ごしていた。だから...

    • こんなことをトラバで書くのもどうかと思うけど、あなたに触発されたので自分も友達のことを書く。 私には友達が居る。ほとんどが地元の友達で、小学校中学校の頃の友達だ。今は地...

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