もう、気づいた。
いわゆるチャラい人っていうのかな、
そういう人がずっと嫌いだった。
何にも考えてなさそうだし、メール送っても返してくれないし。
携帯のアドレス帳に何人入っている、とか、自分の交友関係とかを見せびらかす人がほんとうに嫌いだった。
なんで、そういうことを自分の世界だけにとどめておけないのか。
俺は、そういうことからは縁遠い人。
嫌って嫌って、自分はそういうにはなるまいと誓っていた。
でもね、
そうやっても、なんにもいいことは無かった。
やっと気づいた。
自分は彼らとは違う人間なんだ、って逃げていては駄目だ。
彼らと競いあわなければならないんだ。
満員電車の中で立っている場所を少しあけてあげることが俺にはよくあった。
少し、自分が苦しい思いをしても、それがいいことなんだろう、と思っていた。
一方、ドア側の人は、たとえ、閉まるドアに飛び込んでくるサラリーマンがいたとしても、直立不動。
なんて冷たい人たちなんだろうって思っていた。
でも、今は思う。彼らが正しかった、と。
自分が卑屈になって場所を譲っても、感謝されることは無かった。
自分が苦しい思いをすることは無い。
自分も競い合って、満員の中での自分の陣地を確保しないといけない。
多分、小学校にやった道徳の時間の価値観からすれば、この行動は間違っているんだと思う。
あの教科書に書いてあったことは、もう信用しない。
それが大人になるってことなんだ。
競争っていうから 「お前達、それは道徳に反しているぞ!」と立ち向かいでもすんのか と思ってたら真逆で思わずワロタ 競争どころか、結局自分の価値観を折り曲げて 彼らの方へ同調...
これからどうやって生きていこうとか、自分という人間が優れているとか優れていないてことを言いたいんじゃなくて、「教科書の内容に沿って生きていくことができないってことがわか...
教科書が虚構なんじゃなくて、現実だと思っている世界が虚構なんだよ。
君が「気付いた」のは「楽に生きる方法」ではある。それだけ。 人生が生きるに耐えないほど苦しいというなら楽をすんのもいいだろう。でも『楽をして得られるものはまたそれなりの...