法律(実定法)を、条件判断文の一種として捉えるという考え方がある。
「もしAならばB」
というやつだ。
この場合のAは法律での禁止規定、Bは罰則規定だ。
「もしA(という違法行為が存在する)ならばB(という罰則が適用される)」
大ざっぱだけど、これが法律という条件判断文になる。
さて、マナーの場合にはどうかというと、
「もしAならばB」
のうち、Bについては特段に明示的な規定が無いと考えればいいだろう。直接的な罰則は存在しない。
(細かいことを言えば「他の人からイヤな顔をされたりつまはじきされる可能性がある」のが罰則代わりか)
それではA、つまり「○○」禁止規定はどうか。
法律の条文ほどではなくとも、どこかに何らかの形で明確なガイドラインが存在するのであれば、それがAに当たる。
では、そういうのがない場合……においても、実はしばしば事実上のA=禁止規定が存在すると見なされることがある。
「常識」「良識」といった、曖昧であるが故に多義的でもあるガイドラインがそれだ。
ちなみに法律という条件判断文においても、法廷の場では「社会通念」として同種の概念が援用されることはあるが、それはあくまでも事実認定などの背景的要因として取り扱われ、条件判断においてBを選択する直接的根拠=Aそのものとして取り扱われるわけではない。(もし直接的な根拠になるのだったら「社会通念違反罪」なるものが出来てしまう)
「マナー」と(法律を含めた)「ルール」の違いをどこで線引きするかによっても変わってくるが、「マナー」の主な特性としては、
「条件判断のA項(条件項)に、直接的な行為記述として一意に決定できないような観察文が代入されうる種類の条件判断文」
と考えることも可能ではないかと思う。
もちろん一意に決定できてもいいが、その場合の条件判断文は通常は「ルール」と呼ばれる。
(もちろん、実定法ですら法文に照らした事実認定が一意に決定できず、個別の法解釈によらざるを得ないケースはしばしばあるので、あくまでも「こんな方向で考えることも可能じゃないか」という程度の話ということで。)
俺の結論。
「もし「他人が不快になる」ならばB」
という条件判断文は、これ単独で立派に「マナー」を構成していると思う。
最初から条件項の記述「他人が不快になる」が具体的に何を指しているのかを一意に決定できるなら、その場合に限ってそれは「ルール」になるが、それは「マナー」に包含されているとは言えても「not マナー」であるとは言えない。