おれはガキの頃あのなんとか赤十字病院に入院させられた。なんとか症候群って言う意味のわからない病気で、
大人が罹患するとリアルに死の病っていう類の代物。
そこの医師は俺を病院にくくりつけて食事制限をしたあげく、副作用で食欲を刺激する薬を俺に投与し続けた。
ガキの俺がどんぶりいっぱいの米を食ってもまだ腹が減っている。全身にむくみが出る。どれだけ安静にして、
愛する両親のために医師に従ってもいっこうによくなる気配が無く、それどころか食える物のバラエティが
一週間ごとに減っていく。待遇はあの数ヶ月の間に悪くなる一方だ。
作ったばかりの友達にもずっと会えない。周りはジジイばかりの、とくにきれいでもない病室。
俺は自分の体の何が悪いかちっともわからなかった。廊下を同い年くらいのガキが走り回り、ナースはそれを
しょーがないわねーとかなんとかいいながら、とめたりとめなかったりする。俺だってそうだった。
あれだけ動いて大丈夫なら、家にいたって一緒じゃないか。家に帰らせてくれ。無茶苦茶な理屈はたくさんだ。
医者たちが見ていないと心配なんだろうなんて、子供心におかしな心遣いまでさせやがって。
結局俺は病院を移った。そこの医者は「入院なんてもってのほか。食事制限なんてもってのほか。投薬も最低限にすべき」
という治療方針だった。俺はただ喜んだが、両親は泣いて喜んだ。結論から言うと、俺の病気は「完治」という承認を
いただくことこそ10年もの長い時間がかかったが、通院は月に一度がすぐに半年に一度、年に一度になっていって、
普通の子どもとして学校に通い、普通の青春時代をおくることができた。あの医者は俺にとって神だ。
あのなんとか赤十字病院のうわさを親戚から耳にする。俺とかつて同じ病室にいたガキが2,3人、未だにあの病院にいるそうだ。
そこで治ったやつの話は聞かないが、そういえば俺と同じ病室からいなくなったやつらは大概病院を変えたといっていた気がする。
病院内の教育施設で学び、ベッドにもどり、水しか飲み物を飲めないガキ。しかも規定の時間内のみ。俺があそこを離れなければ、
俺もそうなっただろう。あの医師は、本を出したり新聞に出たりしてそこそこカリスマで、親は北海道からわざわざあの医師を頼りにして
自分のガキをつれてきて、病院で成人させてしまうんだ。何が治療だ。あいつをヤブ医者と呼ばずになんというか?罵詈雑言がありすぎて困る。
ヤブなんて生ぬるい言葉で終わらせられるか。「治療法が確立してない」なんてクソみたいな事実を盾に、
治ったヤツもいるかもしれないし、てめーのせいじゃないこともあるだろうし、色々言い訳もあるんだろうが、しったことか。地獄に落ちやがれ。
増田どももあのなんとか赤十字病院には気をつけろ。方言の強い、茨城の隣の「田舎」の方にあるやつだ。あそこじゃあ未だにあのクソ忌々しい医師が、
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