2007-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20070222020944

 マクロに見たときの、個人に与えられる「自由」の意義とは、社会がその構成員に対して業務上必要なデバイスとして支給する「道具」とか「業務用品」とか「官給品(?)」なのだろう。

 その業務用品=自由によって、個人がどんな業務を遂行するのかと言えば、社会それ自身の維持発展とかそんなあたりだ。余剰時間=余暇でさえ、労働力生産という名のメンテナンス作業に費やされる。

 従って、その業務とは異なった目的に「自由」を使用したなら、それは支給された業務用品の目的外使用として指弾される。

「自由」を何か外的な全体社会のための道具として捉えるなら、たぶんそんな感じになるんだろう。

記事への反応 -
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        •  マクロに見たときの、個人に与えられる「自由」の意義とは、社会がその構成員に対して業務上必要なデバイスとして支給する「道具」とか「業務用品」とか「官給品(?)」なのだろ...

    • 空いている席の上で、よくケータイがなってる職場の人には、その感覚がわからんかったりする。

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