マクロに見たときの、個人に与えられる「自由」の意義とは、社会がその構成員に対して業務上必要なデバイスとして支給する「道具」とか「業務用品」とか「官給品(?)」なのだろう。
その業務用品=自由によって、個人がどんな業務を遂行するのかと言えば、社会それ自身の維持発展とかそんなあたりだ。余剰時間=余暇でさえ、労働力再生産という名のメンテナンス作業に費やされる。
従って、その業務とは異なった目的に「自由」を使用したなら、それは支給された業務用品の目的外使用として指弾される。
「自由」を何か外的な全体社会のための道具として捉えるなら、たぶんそんな感じになるんだろう。
「いつでも持ち歩くことができる電話機」というコンセプトで誕生したはずのケータイは、 気がつけば 「いつでも持ち歩いていなければならないもの」になってしまっていた。 私は長...
http://anond.hatelabo.jp/20070222010715 あなたを拘束しているのは携帯というハードウェアか。それとも携帯の向こうにいる誰か/何かか。そこを間違えないように。 http://anond.hatelabo.jp/2007022201235...
http://anond.hatelabo.jp/20070222013543 生まれた行動の幅は、自由としてもたらされるよりはむしろ必需品としてもたらされる。車や電車で行動の幅は広がったが、通勤を常態化し、田舎に留まっ...
マクロに見たときの、個人に与えられる「自由」の意義とは、社会がその構成員に対して業務上必要なデバイスとして支給する「道具」とか「業務用品」とか「官給品(?)」なのだろ...
空いている席の上で、よくケータイがなってる職場の人には、その感覚がわからんかったりする。
http://anond.hatelabo.jp/20070222010715 そう、そしてヒトラーの予言が成就する。 ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済...