2007-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20070222013543

生まれた行動の幅は、自由としてもたらされるよりはむしろ必需品としてもたらされる。車や電車で行動の幅は広がったが、通勤を常態化し、田舎に留まった生活を不可能にした。コンピュータは確かに行動の幅を広げたが、それを知らねばビジネスの場(小売店舗でさえ!)から追放される。

余剰となった時間は、余剰として自由には使えない。余剰があることが前提として社会が変化する結果、余剰はあって当然の時間となり、やるべき物事が追加される。機械によって作業効率は向上し、ある業務を高速に終えることが可能になったとしても、余剰となった時間は何か別の作業のための時間となる。

過去がどうであったかはこの際関係ない。それは次のように問うてみればいい「自分はいつでも過去の生活に立ち返れるか?」と。任意の過去の生活に戻れないと感じたとき、そこにある障害は何かを考えてみればいい。

記事への反応 -
  • 「いつでも持ち歩くことができる電話機」というコンセプトで誕生したはずのケータイは、 気がつけば 「いつでも持ち歩いていなければならないもの」になってしまっていた。 私は長...

    • http://anond.hatelabo.jp/20070222010715 あなたを拘束しているのは携帯というハードウェアか。それとも携帯の向こうにいる誰か/何かか。そこを間違えないように。 http://anond.hatelabo.jp/2007022201235...

      • http://anond.hatelabo.jp/20070222013543 生まれた行動の幅は、自由としてもたらされるよりはむしろ必需品としてもたらされる。車や電車で行動の幅は広がったが、通勤を常態化し、田舎に留まっ...

        •  マクロに見たときの、個人に与えられる「自由」の意義とは、社会がその構成員に対して業務上必要なデバイスとして支給する「道具」とか「業務用品」とか「官給品(?)」なのだろ...

    • 空いている席の上で、よくケータイがなってる職場の人には、その感覚がわからんかったりする。

    • http://anond.hatelabo.jp/20070222010715 そう、そしてヒトラーの予言が成就する。 ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済...

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