「最近の若者は……」っていう言葉は古代エジプトの壁かどこかにも書いてあったんだそうだ。メソポタミアだっけ? 忘れたけど。まあそれはともかく。
すごく大事な感覚だと思う。だって、誰もこう思わなくなったら、世界はものすごい勢いで変化しちゃうよ、多分。あ、それはそれでおもしろいかな。でも俺は嫌だな。ついていくのが大変そう。それなりに落ち着いててほしい。
似たような話で、言葉の間違いを指摘された人が「言葉は変わるんだよ。そんなに『正しい言葉』が良いなら古文で喋れよ」と開き直るのをよく見かけるけど、よくないなと思う。確かに言葉は変わるし、変わらざるを得ないところもあるけど、できればあんまり変わらないほうが良いじゃん、やっぱ。
もう変わっちゃったものは仕方ないから、昔の言葉で喋るのもどうかと思うし。今からそんなことをしたら、それはそれで言葉を変えることになるし。
さて、最近の俺は「最近の俺はけしからん」と思うわけです。ジュディマリにはまってるあたりが。どうしてジュディマリがけしからんのかというと、昔の俺がジュディマリはけしからんと思ったからです。
書くのがめんどくさくなってきたから誰か続き頼む。