2007-01-31

学ぶための猶予

起床は10時半、朝食は昨日の鍋の残り、暖めるだけ。昼食はインスタントのスープカレー、自分が作ったのでなく、親が作った。夕食は親の手料理、じぶんは食べるだけ。

今日じぶんがしたことは、ネットをぶらぶらうろつくこととテレビゲームをピヨピヨとプレイすることと漫画をぺらぺら流し読むこと、それだけだ。

こうして書いてみるととてもニート的な一日だ。だが当方、まだ学生である。高校生である。学校は推薦入試により休みであった。

勉強といえることはしていない。「やることなすこと全て勉強!」といってしまえば、ニートにすら勉強家のレッテルを貼り付けることができてしまう。今日じぶんがしたのは暇つぶし。勉強、としてしまうには堕落している。

じぶんが暇つぶしをしている間、ある友人はおそらく他の友人とボウリングなんかをしていただろう。じぶんはそれに誘われかけたが、どちらともなく断ったような感じで、誘いは場の空気に溶けていった。そのときは誘いに乗りたい気持ちもあったが、それ以上に「楽しく遊べるだろうか」という懸念めいた気持ちが濃くあった。だから返答せずに曖昧に流し去ってしまった。

しなくてはならないことを誰かに任せられる学生という身分を卒業したとき、じぶんは多くを自給自足して生きていけるのだろうか。楽しいことを既製の娯楽にのみ頼っているじぶんは、楽しいことを作り出すことができるのだろうか。やるべきことが必然として与えられている学校から離れたじぶんは、自らにやるべきことを課せるのだろうか。コミュニケーションが必然として存在している学校から抜け出たじぶんは、積極的に他人と関わることができるのだろうか。

じぶんから学校という居場所をはぎ取ったとき、何か残るんだろうか。

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