2007-01-17

中二病の味、邪気眼の薫り

たとえば料理が上手な人が、ウィスキーを使ってなにか料理を作ったとする。隠し味程度に使えば、食べた人は「美味しいなあ、変わった風味だな」としか思わないだろうし、ある程度の量を大胆に使えば「あ、なにか癖のあるお酒を巧く使っているな」と思ってくれるだろう。超絶に料理上手な人がたっぷりと使えば「すげえ、ウィスキー使うとこんなに美味しい料理が作れるのか!」と感動してくれるだろう。

 

さて、今度は料理が下手な人がウィスキーを使って料理したとしよう。使用量が少なければ、食べた人はただ「不味い」としか思わないだろうし、量が多ければ「不味い上になんだこれウィスキー使いすぎ」と思うだろう。

 

もうおわかりかと思うが、上記のウィスキーにあたるものが、ここ最近ではすでに原義を離れて「中二病」とか「邪気眼」とか「エターナルフォースブリザード」とか呼ばれているものの正体である。

それはただの食材に過ぎない。ここで言われているようにそれ単体を重要パッションとして誇るべきものではないし、かといってそのさらにリンク先でなされているようにそれ単体で非難すべきものでもない。大量に使えば目立つし、それが不味ければさらに悪目立ちするというごく単純な事実があるだけだ。試みに、その「痛い設定」とやらを「共産主義思想」とか「ミリタリー蘊蓄」とかに入れ替えてみるといい。まったく同じ図式ができあがるはずだ。

 

ではなぜ中二病だけこれだけ馬鹿みたいに騒がれるのか?

二つ理由がある。一つは、「だれでも一度は考えたことがある」という共感の呼びやすさだ。邪気眼コピペはこのむずがゆく恥ずかしい共感を介して爆発的に広まった。単に「あるあるw」と笑い飛ばすギャグだったはずが、作品への非難に使われるようになった、その変節の根底には、「だれだって考えつくのだから安っぽいだろう」という認識がある。

そして理由の二つ目は一つ目から導かれる。「だれでも一度は考えたことがある」がゆえに、実際にこれを使用してなおかつ不味い作品が(ことにネット時代のこんにちでは)大量に流通しているという事実である。

 

だから、料理を食べずにレシピだけ見て非難したい輩はこういう愚かな帰納を行ってしまうのである。

「俺が食った不味い料理ではこの食材の味が目立っていた」

   ↓

「この食材を使っているからこの料理は不味いにちがいない」

 

今さらこんなことを言うまでもないだろうが、だからクリエイター諸氏は安心してエターナルフォースブリザードで相手をどんどん殺していただきたい。こと娯楽に関して大衆は我々の想像よりもはるかに味がわかる。うまければ受け入れられるしまずければ拒絶されるだろう。

食材を誇(誹)らず、料理を誇(誹)るべし。

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