2007-01-14

[]私がWikipedia貢献しない理由

最初に断っておくと、まったく読むだけというわけではない。自分の常時使っているソフトウェアプログラミング言語に関してはおかしな点があれば修正するし、誤字脱字のような誰が見ても明らかな間違いも直す。

しかし、趣味的な事柄、漫画アニメの記事は読みはするけど自分で書く気にはなれない。なぜかといえば、記事を書く、または修正するためのコストが私にとっては高すぎるからだ。主観を排除し、あれやこれやと詰め込まず、整合性のある文章にまとめるのはなかなか時間がかかるし、原典に当たるのも大変である。一場面についてならともかく、登場人物について書こうものなら下手すると全話見直しということにもなりかねない。その間にお茶お菓子でも出してくれるって言うのなら喜んでそうするけれど、そうでもないのに大して好きでもないアニメの記事がちょっとおかしかったからってわざわざ直そうとは思えない。

その点ソフトウェアプログラミング言語なら最初から主観があまり含まれていないし、規格や仕様Web上で簡単に参照可能だ。さらに、愛用するソフトウェアについて間違った情報が流され続ければ、めぐりめぐって自分の不利益になるかもしれないとは思うが、漫画の記事が微にいり細にいりぐだぐだとつづってあっても、百科事典的でないとはいえ私の不利益にはつながらないと感じる。

とはいえあまり興味のないソフトウェアなら少々のことは放置しておくだろうし、本当に好きな作品に不適切な文言が添えられれば即座に直すだろう。結局のところ対象に抱く愛情の差かなとも思う。私がWikipediaでとりあえず文句はつけるけれど自分から直そうとしない記事は、無関心というほどではなくとも手間と時間を引き換えにしてもいいと思えるほどの愛情を抱いていないものなのだ。

(とまあ私の文章がだらだらとしていて読みづらいのも編集を躊躇するほんのわずかな理由かもしれない。案ずるより産むが易し、とりあえず書いてみろといわれるかもしれないが、他人が校正してくれるのを期待して下手な文章に差し替えるのは、少々不適切かもしれない文章を誰かが直してくれるさとそのまま放置しておくのとどう違うのか。)

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