夏の日の国道で死を意識する
それは死への欲求を意識するのとは別だ。単純な〈死〉の想起なのだ。春に比べて大気が幾分厚みを持って感じられる。そして、自転車を漕ぎ出せばそれまでの季節よりもずっと遠くへと行けるような気がしてくる。線路を跨ぐ立体交差の下り道を駆け抜け、からからと車輪の回る音が響き、横髪が風に靡く。川の見える風景をまず目指そうと心に決めて、図書館と博物館の見える駅の東側へと自転車を向けてそのまま走って……
Permalink | 記事への反応(2) | 02:47
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あー夏の国道はそうだよね 酷暑のさなかの山奥の蓋の無い側溝は無残だった 数十匹の干からびたアマガエルの死骸が旱魃の恐ろしさを物語る まあ晴天で最初にどんだけテンションが...