2011-01-15

大人の定義についての私見

成人の日に、大人についての話がおこなわれていた。

どういった性質が、大人として認められるのだろうということについてであった。

そもそも大人とは、善なる存在なのか、それとも悪なる存在なのか、もしくはその両方の混在であるのだろうか。

私が思うに、大人とは芯を内にそなえた存在である

その芯とは、自分が気づいていても、また気づいていなくてもいい。

ただ芯がそなわっていることで、そこから自己評価が構築されていき、大人としての自己確立していくのである

そして芯のない人間は、たとえいくら歳をとっていても、(私が思うには)子供である

また逆にどんなに歳若く幼くとも、芯が内にそなわっていれば、それは大人なのである

  • 子供を差別するのが大人だと思うな。 他人の顔色をうかがい、社会的規範からはみ出さない。自分の立場を守るために些細な事で他人が”大人”でないことをあげつらい攻撃する。 いじ...

    • それは「汚い」大人だよ。 子供を愛し、許し、守るのもまた大人だよ。 そして世の中には汚いものと綺麗なものが無分別に混ざっている。 一面から見れば汚いし、もう一面から見れば...

      • というより、児童を愛し、守るのは「オトナ」の条件の一つです。 ここで言う「オトナ」は、元増田の言っていた成人の自覚的な意味。 宗教が悪を描写して不安を煽る事でしか神を語れ...

        • 多神教なら「悪神」もいるし、「どっちでもない神」もいます。 「コドモ」を神聖視する文化・宗教だってあります。

  • なんつーか、実際の大人の人たちはプライドとかアイデンティティとか自己顕示欲とかそういったもののために色々それっぽいこと言うと思うけど、 結局のところ、少なくとも大人が「...

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