2010-11-15

貧民が格差社会の礼賛に変わる過程

貧しさにとことん辱めを受けてきた人間がそろそろ死のうかと思っている。

その前にこう考える。

よくも自分をこんな境遇に陥れたな。

みんな殺してやる。

みんな死ね


そこでふと考える。

この国の人間をもっとも体系的に、もっとも多く殺す方法はなんだろうか。

繁華街トラック突入してナイフを振り回しても、小学校突入して出刃包丁を振り回しても、直接手にかけることができるのはせいぜい10~20人が限度だ。

もっと合理的に多くの人間を殺す方法はないものか。

多くの人間を殺すには、原爆でも落とすのでなければ、長期間にわたって一定の人数を殺し続ける必要がある。

そのためには自分拘留されてはならない。よって非合法な活動よりは合法な活動により殺人ができる方が良い。

方法がひとつだけある。

この国の人間を体系的にどんどん自殺させるのだ。

絶望させ、徹底的に苦しんだ後に死を選ばせるのだ。

そこでふと気づく。

日本人を体系的に自殺させ続けるには、実はいまの社会構造が最善なのではないだろうか。

貧富の差を拡大し、あらゆるリスクを個人に集中させ、原因を個人の心理的な問題に持ち込んで徹底的な自己否定を行わせる。

そうだ、できるだけ多くの人間に死んでもらうためには、格差は実は合理的なものなのだ。

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