ばーちゃんが亡くなった。
知らせを聞く前になんとなく、今日だなって思った。そしたらやっぱりその日の晩に知らせがきた。
ばーちゃん子の私はひとしきり泣いてばーちゃんがもう居ないことが悲しくて悲しくて仕方なかった。
だけど、時間が経ってこれでよかったと思う。
ばーちゃんは最後は末期ガンで会いに行っても毎日毎日「痛い痛い」と言い続けた。
「痛い」の間で私の名前を呼んだ。
生きていてほしかったけど、ばーちゃんがつらいのもいやだった。
モダンでしゃきっとしておしゃれが大好きで、家族の誰よりフットワーク軽く、
ずい分な年まで一生懸命働いて貯めたお金で旅行へ出かけてたばーちゃんが歩けなくなった時に一気に元気をなくしてしまった。
ガンはあっという間に広がって、だけど内臓のガンじゃなかったからいつまでも心臓は元気でばーちゃんをずいぶん苦しめた。
「もういいんだ私は一人で生きて一人で人知れず静かに死んでゆくんだ」、なんていう話をネットでも現実でも時々耳にするようになったけど
そんなのは運の良い人だけが迎えられる最後だよ。
五体満足のまま、昨日まで元気だったのにぽっくり眠るように、なんて思って発言しているのかもしれないけど現実はとってもむごかった。
自分で歩けなくなって、自分で食べれなくなって、自分で排泄できなくなって。そのうち自分のこと自分で何もできなくなった。
そんな状態になったとき、手を貸してくれるのは家族かお金だけだったよ。
なんとかなるさ。は無い。