周りの人間がずっと同じ問題に取りかかり一向に解決しないでいるのを観察していていつも思うことだが、
やはり頭のスペックが根本的な人生の自由度を決めているのだなと。
知識と経験を身につけてぶくぶく太るのは良いが、それを全然活用できていない。
「ほらーこういう知識あったでしょ-」って助言しても、頭をひねるばかりで、全然その知識の活用方法が思い浮かばない。
頭が固くなっていて知識を頭の中で幅広く転がしてさまざまな問題解決に応用する力がまったくない。
知識が死んでいる。
表面的な形ばかり記憶していて、深い構造を見抜くことが出来ないから、すぐに経験や情報によって認識が変容し根本的に覆されてしまう。
結果として、偏った知識になっている。マジョリティというものは、決して中立的な視点では無くて、偏った視点である。
無能な人間には責任はない。 優秀な人間が責任を果たさないからこういう社会になっている。
元増田だけど、それは正解。 もっと言えば、優秀な人間の個人的努力ではなく、優秀な人間の意欲・才能を伸ばす環境、 および、無能な人間でも役に立てられるシステムの整備ができて...
知識を生かせるか否かは、能力そのものよりもモチベーションのほうが大事やろ。 スペックよりも危機感。 危機感さえあれば、スペックなんかなくても手に入る材料だけで、半端に賢い...