ちょっと前からよく思っているんですけどね、私、生きる能力のない人は死ぬのが正しいと思っているんです。
えーとですね、私はどっちかというと社会不適合で、偶然専門職の口を見つけたお陰でなんとか生きてますけどね、1つの会社でずっとやってるとですね、精神的にダメになってくんですわ、これが。精神的に弱いんですな、たぶん。
で、ひとところに居つけないから社員にもなれず、職場を転々としながら生きてるんですけどね、まぁ景気も不安定ですし、これから先はどうなることやらという感じですな。
そういう人間として生きているからこそですね、「生きる」っていうことは、けっこう強く意識しているんですよ。
もしですね、自分の能力が通用しなくなって、貯金も尽きたら、それはそこまで。その時にですね、生活保護なんて求めたり、誰かを頼ったりとかですね、そんなことは絶対にしない、と。そう思ってるわけなんです。
それはですね、私がたぶん、生きる能力をそんなに持ってないから考えることだと思うんですよね。私はですね、私が全てを失って死ぬ姿をですね、明確にイメージして生きてきたわけです。それはもう学生時代からずっと、20年近い時間ですね、ずっと心に住み続けているイメージなんですよ。
で、それは不遇によってそうなるわけではなくですね、私の能力からすれば順当な結果だと理解しているわけなんです。
私はですね、他人に殺されるのは当然嫌ですよ。でも、ですね。私の能力が社会に通じなくなってそれで敗れるなら、それはまぁ、仕方ないことじゃないかと。生きていく力が足りないなら、死ぬしかないじゃないか、と。
そういう死をですね、誰にもかばわれず死んでいくことをですね、明確に意識していて、だからですね、私は私なりに、まぁ精神的にダメで不器用な人間なりにですね、避けようとして一生懸命頑張ってるわけですよ。
無駄なお金は使わず貯金してですね、自分への投資はちゃんとしてですね、唯一の便りの専門職の能力を衰えさせないように夜遅くまで勉強してですね、少しでも生き延びようとしているわけなんですよ。
だからですね、私は自分の能力が足りずに死ぬことは受け入れるのが正しくてですね、弱い人を助ける優しい社会なんてものが出来たら、喜んで唾を吐きかけようと、そんな風に思っているわけなんです。
わざわざ増田にその思いを吐露せずにいられないという時点で 既に文面を言葉どおりには受け取りようがない、みたいな。
私も生きる能力がなくなったら死にたいと思ってるけど、 他の人にもそれを強制するつもりはない。 他の人は、生きる能力がなくてもできることなら助けられて、 生きていってくれた...