2009-07-09

小説の賞について思うこと(須江岳史)

型の違う行列同士は差を求められないように、

文章量が違う小説同士はその優劣を決定できないんじゃない? と思う。

文章量だけじゃない。

小説ごとに、色々なものが違う。

それは、モチーフの数や伏線の数や、実社会との関わりの密度みたいなものかもしれない。

「文章量500、モチーフ数3、伏線数4、実社会との関わりは40という規定の中で小説を書け」

っていうルールの下で、「面白さを最大化しろ」っていうような競い合わせ方をしないと

比べられたものじゃないんじゃないかなあ。

原稿枚数だけを指定されて

小説を書いて賞に送って

それで選評で

「この小説伏線は多いけど実社会とのかかわりが足りない」とか言われたら

「そんなこと聞いてませんでした。サーセン」としか思えない。

「なんでそのルールを先に教えてくれなかったんスカ」ってなる。

話はちょっと変わるけど、

タコとイカ、どっちが足を長いかを比べるとき

足の長さの合計を求めるのか、平均をもとめるのか、一番長い足を比較するのか、

予め決めてないとアンフェアだ。

タコは八本で、イカは十本の足なんだから。

でも、小説の賞はそうじゃない。

原稿用紙n枚以上、m枚以下で送ってください」としか書いてない。

評価の仕方も、選考委員や下読みの好みで変わってきてしまう。

オリンピックに出るのはいいけど、競技が百メートル走か高飛びか幅跳びかわかっていないのに似ている。

賞を受けた人は、「アンフェアルールという闇の中を走りきった!!」ということで

発狂するくらい喜ぶ権利はあると思う。自分もそうなりたい。

でも、走りきれなかった人も、「あれはアンフェアルールだった」と過去を切り捨てて構わないと思う。

それも、一つのカッコイイ生き方だと思う。

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