型の違う行列同士は差を求められないように、
文章量が違う小説同士はその優劣を決定できないんじゃない? と思う。
文章量だけじゃない。
小説ごとに、色々なものが違う。
それは、モチーフの数や伏線の数や、実社会との関わりの密度みたいなものかもしれない。
「文章量500、モチーフ数3、伏線数4、実社会との関わりは40という規定の中で小説を書け」
っていうルールの下で、「面白さを最大化しろ」っていうような競い合わせ方をしないと
比べられたものじゃないんじゃないかなあ。
原稿枚数だけを指定されて
小説を書いて賞に送って
それで選評で
「この小説は伏線は多いけど実社会とのかかわりが足りない」とか言われたら
「そんなこと聞いてませんでした。サーセン」としか思えない。
「なんでそのルールを先に教えてくれなかったんスカ」ってなる。
話はちょっと変わるけど、
タコとイカ、どっちが足を長いかを比べるとき
足の長さの合計を求めるのか、平均をもとめるのか、一番長い足を比較するのか、
予め決めてないとアンフェアだ。
タコは八本で、イカは十本の足なんだから。
でも、小説の賞はそうじゃない。
「原稿用紙n枚以上、m枚以下で送ってください」としか書いてない。
評価の仕方も、選考委員や下読みの好みで変わってきてしまう。
オリンピックに出るのはいいけど、競技が百メートル走か高飛びか幅跳びかわかっていないのに似ている。
賞を受けた人は、「アンフェアなルールという闇の中を走りきった!!」ということで
でも、走りきれなかった人も、「あれはアンフェアなルールだった」と過去を切り捨てて構わないと思う。
それも、一つのカッコイイ生き方だと思う。
君の想像力の無さは良くわかるよ。 それから、小説家は、マーケティングしてるからな。 仕事にするために。
年を取ってくると、権威にすがりたくなるんだよ。
当たり前で蓋然性が高い判断をしている人間に対して、 一部ではやたら厳密なことを要求し、また別の一部では比較的甘い判断をしているという超ダブスタ人間が やたら上から目線で...
新規開拓は最新バージョンうp層というマーケットリサーチを知らない暴論('A`)
ルールがないことこそが最高だと思う。理論上はね。 実際にはずいぶん選考に偏りがある気がするが。
都知事はポトスライムの意味も知らないで芥川を決めたらしいしね
元増田は時期的に見て、東浩紀に触発されて書いてるだけのただのフォロワーだろ http://d.hatena.ne.jp/hazuma/20090708/1247026826 言わんとしてることが、似すぎている
>>モチーフの数や伏線の数や、実社会との関わりの密度<< そもそもこの基準が客観的じゃない。