2008-12-22

世の中に興味がなくなってきた

自分の知らないところでいろいろなことが起きているが

「それを知っていたとして,自分には何もできないし,何もしないだろう?」

と考えると何かを知ろうと思えなくなったきた.

自分仕事や生活に必要ない(役に立てられない)知識ばかり詰め込んで一体どうするのだろう?

と,思っていたのは昔のことで,今は自分に必要な知識ですら関心がなくなってきた.

年金消費税ガソリン代その他,金銭的なことは将来のことを想像すると不安になったけれど,

騒ぎ立てた割には(皆が騒ぎ立てたからこそかも)すぐに何事もなかったように忘れられる.

まるでバナナダイエットのようだ.そんなこと逐一気にして不安だけ募らせても仕方ない.

といって,毎日その時だけ楽しければいいと思っているのではない.

むしろ楽しくない.そもそも楽しいとは何だったか忘れてしまった.

生きたいとは思わない.死にたいとも思わない.ただ退屈であることを除けば何もない.

その退屈さを紛らわすのにどうすればいいかと考えてみたのだけれど,

やはり自分の外のことには興味がない.特に人が作った娯楽などは

その時,欲求が満たされたような気がしても,すぐ新たな欲求が沸いてくるだけできりがない.

穴の開いた容器に何度も何度も水を汲み入れているような気がしてくる.

外が駄目なら内だ.といっても自分の内側とは何のことかよく分からない.

とりあえず,新しいものよりは,古いもの,多くの人に読み告がれたり認められてきた本,

古典を読んでみるのが,くだらない欲求を満たし続けるよりはましだと思えてきた.

それも外に快楽を求める人にとってはくだらないと思われるだろうし,

それで何か満たされるかは自分にも分からない.ただ今は読まずに死ぬのはもったいないと感じているだけ.

それが出来れば今,何が起きているか,生活における不安などたいした問題ではなくなってきた.

今は仕事をなくしても退屈しないように馬鹿みたいに本を買い集めている.そうなっても

生活していく為の最低限のお金だけ確保できれば(実際それが難しくなりそうな現状だけれど)

あまり働きたいと思わないし(別にニートになろうというのではない)

社会貢献しようとも,何かをもっと良くしようとも思わない.

自分が人員的にというより,人数的に必要なだけの存在だからそう思うのかもしれない.

今は休日少なく,勤務時間も長く,安月給だが,それでも真面目に働いているつもりだけれど

時々,上に書いたことを決行してしまいたい衝動に駆られる.

そんな自分の考え方はやはり駄目なんだろうか?

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