2008-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20080527003305

いや、子孫を残す上でもう一つ重要なのは、「他人の遺伝子を残させない」ということだと思う。

つまり究極の状態を言えば、全ての女性の性を占有してるのがもっとも遺伝子が残る状態なわけだ。

ところがこれは男が二人いたらもう不可能だ。どっちかが達成すればどっちかは達成できない。

そこである妥協点が探られているんじゃないかと。

一つは「占有」という条件をなくす。こうすると二人で全ての女性を共有することになる。乱交状態になる。

もう一つは「全ての」という人数条件をなくす。二人で女性を半分ずつ分ければ、自分の取り分に関しては占有が可能になる。

そして、男女比はほぼ1対1だから、男一人当たりの占有できるわりあては女一人になり、

これが処女という概念であり、(昔の)結婚制度じゃないかと。

んで前者農村文化であり、後者都市文化じゃないかと。

ところが、現代に至ってはこの形態は崩れつつあり、それは都市文化とも農村文化とも違った形で結婚する。

3人くらいと付き合って結婚という形は現代の新しい形として生まれたんじゃないかと。

それは、女性の意志が通る世の中になったこと。例えば女性は上の方の文章を読んで、不愉快になると思うんだ。

ものみたいに扱われてるし。そう思えるということはそれだけ女性意識の面でも解放されてるということで、

そういう意志は結婚にも影響する。女性本能的にいくつかのオスを渡り歩いてこれぞというのを一つ所有するように

脳に設定されていて、だから結婚前に必ず「こいつでいいのか?」と不安になる。

そういう「渡り歩き」と男性的「農村文化」のあいの子が現代結婚であり、

そこへ入れなかった(リミッターが温存されてしまった)都市文化男がネットの片隅で処女を叫んでるんじゃないかと。

もちろんここでいう農村とか都市とかは文化的な程度の高低を表すのではなくて単に性的な側面だけを指すんだけど。

記事への反応 -
  • 子孫を残す点では処女かどうかに関係なくやりまくったほうがいいはずだろうし、女のほうも子孫の遺伝子の多様性とかあったほうがいいから複数のオスの子を産んだほうがいいだろうし...

    • いや、子孫を残す上でもう一つ重要なのは、「他人の遺伝子を残させない」ということだと思う。 つまり究極の状態を言えば、全ての女性の性を占有してるのがもっとも遺伝子が残る状...

      • ところがこれは男が二人いたらもう不可能だ。どっちかが達成すればどっちかは達成できない。 だから昔は身分制度があり、正妻の他にも大勢の愛人を占有している権力を持つ上流階...

      • いろいろ出てて面白いけど、処女を求めるという戦略には別の合理性があるよ。 他の男とのバランスや女とのバランスを全部無視して、自分一人だけ得をするように行動することだ。自...

        • その戦略もアリだと思うんだ。 つまり「自分はばらまき」「他人にばらまかせない」という二つの条件が達成されればされるほど究極状態に近いわけで。 「人数妥協」あるいは「占有解...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん