うん。そこに焦点をあてたいって趣旨なのはわかる。
だが、そもそも、それは本当に問題とすべき「不適切な状態」なんだろうか。
競争の敗者に最低限の保障を与えられないことが問題
ってあるけど、「保障」って言ってるわけだから、恋人がいないこと、セックスの相手がいないことが何かの障害であるってことだよね。
恋人がいないことが社会的、人間的に障害とならざるを得ない社会そのものが問題である、というなら分かる。
けれども、元の増田は「保障を与えられないこと」を問題としている。つまり、元増田自身が、「恋人がいないこと・セックスの相手がいないことが非常に重大な欠乏なのだ」という根深い認識を持っているのだろう? おれはそこまで思わないから、保障の必要を感じない。いなけりゃいなくてもいいじゃん。むしろ恋人がいるのはぜいたくなこと。なんて思っちゃう。ぜいたくできないから保障が必要だって論理に見える。
ただし、パートナー探しにそんなリソースを割けるほど日本の景気はよくないんじゃねーの、なんてことも思ったりする。
ちょっと前子供を産むことと人生の意義について盛り上がってたけど、
http://www.moodindigo.org/blog/archives/000241.html
非モテの本質とは、投入リソースと試行の不足にあるのです。いわゆるモテ資本は、設備的なものと、経費的なものに分けられます。ポイントは、どちらも一定の水準を下回ると、非常に女性と付き合うのが難しくなるということです。
こんな風に書かれている通り、非モテの本質はたぶん投下リソース量の違いで、これは、非・非モテの連中が投下リソースを増やしたことによる相対的なものだと思うのだけど、競争であるのだから、競争相手が強くなることは自分の弱体化を意味するわけで、勝てなくなることに変わりはない。…でも、若者がそういう方向にリソースを若いうちから投下していく必要があれば、要領のよくないやつはどうしたって、「非モテになりますか、好きなことに打ち込みますか」ってトレードオフに直面するようになって。
そんなこと言ってると、若い人はどんどん内向きの「ルールが決められた競争」でバイタリティを使い切ってしまうのじゃねーかな、とか思った。
うん。ほんとにどうでもいい。
増田には少し前、「非モテにセックスパートナーを与えないと非モテが暴れてやばいことになる。ただし風俗は金がかかりすぎるので」という主張をする人がいてツリーが形成されてたん...