2007-12-06

http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51186891.htmlを読んでつらつらと考えたこと。

BLはわりと読者の「女であることへの拒絶」がどうのこうのなんて評されることが多いと思うんだ。そういう論調を見るたびにどっか理解しきれないもやもやしたところがあった。男性レズは「男であることへの拒絶」どうのこうのなんていわないのに!みたいな文章どこかで見て、それはそうだよなぁなどと思いもした。

私はBL好きだけどハーレクインとかもわりと好きで、結局王道展開を遂げる恋愛ものなら何でも好きなのだな、と自分を認識していた。けど最近ちょっとこの二つの差を感じる。

ハーレクインやその他男女ものの恋愛話というのは基本的に「女であることの再確認」というような視点が多くて、「やっぱりなんだかんだいって女なんだよね私」みたいな結末に収まることが多い、ような気がするのだ。超主観である。そこらへんにいやらしさを感じてしまうのだ。ボーイッシュ女の子主人公だったりして、彼女が「お前も女だもんな」なんて女扱いされてよろめいちゃったりすると、「ブルータスお前もか」なんて失望してしまうのだ。

これが女であることを否定してるということなんだろうか。でもそうやって言ってしまうとなんか違う気がするのだ。

物語りにおける「女」というのはポジティブに書かれていないような気がするのだ。対等ではないような、男と女であって、人間人間ではないような。そうやって感じるのが女であることに対する否定なのか。

BLだと基本的に受(つまり女役)は男の恋愛対象にされること(つまり女扱い)されることに抵抗を示す。もちろん女扱いを受け入れるキャラがいないわけではないのだけど、そんなに多数派ではないんじゃないかと思う。で基本的には「性別なんて関係ねえ」みたいな結論に落ち着くのが大方の流れなんじゃないかと。

「女であることの再確認」に対しての、「性別の否定」みたいな。

ここのあたりが個人的にはBLの方が読んでいて楽だと思う理由なのだ。これが「女性性の否定」なんだろうか。悩む。対等な関係がいいのか、といわれれば、一方的に可愛らしい子が可愛がられるような話が大嫌いだとはいえない手前、微妙だ。なんなんだろうか。

BLのいいところ(というか男女ものよりもやり易いところ)はどんなに相手の好意に気づかない鈍感設定だとしても、「カマトトぶりやがってこんちくしょーめが」とはならないあたりだなあ。

言いたいことが全然文章にならなかったので絶望した。

  • 百合(GL)好きの男として、付言しておくと「男であることへの拒絶」として解釈できる百合(GL)も存在はする。 存在はするけれど、単に解釈できるというだけで、描き手が「男...

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