この頃、ネコも杓子もやたらめったら安易に一般化をする傾向があるように思う。
やれ男はどう。やれ女はどう。やれ○○人はどう。やれデブはどう。エトセトラ。
結局、皆分かってるように、結論としてはいつだって「人それぞれ」なのだ。
だから一般化は今後一切禁止とかそういう事がいいたいんじゃない。
ただ、たった周りの人間数人(どうせ普通の個人の体験だとそんなものだろう)をサンプルに、あっさり一般化してしまうような、そういう安易な一般化は、そろそろ自粛すべきなのではないか。
結局、一般化したところで、何も変わらないのだ。
我々は、何も、一般化された「○○人」と付き合う訳じゃない。我々が付き合う人間達は、どこまでいっても基本的に「一人の個人」なのであり、「一般的に言う男というもの」とか「一般的に言う女というもの」とか「一般的に言う大阪人というもの」という、偶像ではない。目の前にいるのは、常に生身の一人の人間であり、偶像化された何かではないのだ。もっと複雑な要素が絡みあった、とても一般化などしきれない、個性を持った一人の人間だ。
増田やはてダなどで行われるような、安易な一般化は、結局の所何も目的はない。例えば何かを売り出すときに、メインターゲットを考えるなど、そういう何かの目的のため行われる一般化はいい。しかしネット上で頻繁に行われる安易な一般化は、その多くは目的などもっていないのだ。強いて目的を言うなら、それで「すっきりしたい」とか、「自分の考えを他者に認めてもらいたい」など、そういうものでしかないのだ。
そうした安易な一般化は、何もメリットを呼び込まない。一部の人間がすっきりしたりするだけだ。寧ろ、かえって、それら安易な一般化は、「偏見」をもたらしかねない。一度「○○は△△だ」と、(半ば冗談だとしても)決め込めば、今度○○な人に出会った場合に、どうしても△△な事を意識してしまう。すぐに「こいつは○○だから△△だ」とは思わないにせよ、「△△なんじゃないか」という目で見たり、無意識に「△△である根拠」ばかりを探してしまったりする。一度大阪人がケチだと思ったら、同じくらいケチな人間二人を見ても、その対象の一人が大阪人の場合は、もう一方の対象である他地域の人よりも「ケチな所」ばかりに注目してしまう、といったようにだ。そうしたものが、積もり積もって、やがて強固な偏見となる。特にたいした目的もなく行われる安易な一般化は、何もメリットは得られないが、偏見の芽を育てるというデメリットだけが生まれてしまう。
そろそろ、そんな我々の生活に何の役にも立たない安易な一般化は自粛しないか?これは、誰も、得しないのだ。
増田で長文を書くのはあほだとか?w
安易な一般化が誰の得にもならないというのも安易な一般化ですよねー
おれも一般化は愚かだと思うが、そもそもネットに流れるデータのほとんどは愚かだしね。
チンクルチンクルクルリンパッ 一般的に言ってネット上で頻繁に行われる安易な一般化は、その多くは目的などもっていないのだ。 強いて目的を言うなら、それで「すっきりしたい」と...
自粛じゃなくて粛清すればいんでねか???
http://anond.hatelabo.jp/20071005215416 一般化して批判するのは戦争で絨毯爆撃やるのと同じ。ものすごく効率が良い。 白兵戦でやりあうと直接カウンター食らう可能性が高い。 面と向かって攻撃...
何でもかんでも個別に考えて一般化しないと手間がかかりすぎるだろ。むしろ一般化を一切しないかしまくるかの二元論で考えるほうが有害。程度の差というのも考えろよ。
有害・無害の二元論を展開してないか? 二元論を展開してるか展開してないかの二元論?