うちの学校には猫がたくさんいる。僕と会ったときの
行動は大きく分けて三種類
2、人間性悪説派:警戒してさっさと逃げ出す。
3、中道派:いつでも逃げる事が出来る体制でこちらを観察する。
鳥は大体種別ごとに逃げる距離が変わってくる。鳩と雀が典型的。
猫は、鳥よりは知的であるから、きっと経験によって宗派が変わってくるのだろう。
町を歩いていると、野良猫はどこにでもいる。でも、野良犬は滅多に居ない。僕が小さい頃は少しは居た気がする。
何故居なくなったか。それは多分危険だから。
誰に?人間にとって。
犬の中に危険度の個体差はあっただろう。でも、結果的に全ての野良犬が消えてしまった。
少なくとも都会では、犬は飼い犬としてのみ生きている。
逆に考えよう。
猫は何故駆除されない?
あれだけ大きな体躯をしているのに、なぜ共存出来ている?
憲法9条を守る人たちがいる。
日本は交戦権が無く、いつでも攻める事が出来るからこそ、いままで攻められないで生きてこれたという人たちも居る(容易に反駁しうるが)
でも、少なくとも日本は、猫にはなれない。
犬がいくら猫らしいそぶりをしても、犬として駆除される。
逆にヒョウが町中を動いてても通報物だ。
そして、ある時から首輪をつけられた。
首輪をつけられる代わりに、安息を得た。
ある時は飼い主は飼い犬の能力に恐怖を覚えた。
ある時は飼い犬を上手く使い、報酬を得た。
これからどうなるのかはわからない。
飼い主が他の動物に興味を持つ、あるいは他の動物と付き合うのが合理的だと判断したら?
あるいは犬がその首輪をはずし、再び野に帰る?
その首輪は今調整されようとしてる、その是非は?
大きかれ小さかれ、共通点を見いだせる。
それは僕の持論。
こんな文をもう少しアカデミカルにして、一回も出た事無い
授業の課題で出したら、