2007-05-22

ねこ

うちの学校には猫がたくさんいる。僕と会ったときの

行動は大きく分けて三種類

1、人間性善説派:つまり寄ってくる、えさをねだる。

2、人間性悪説派:警戒してさっさと逃げ出す。

3、中道派:いつでも逃げる事が出来る体制でこちらを観察する。

鳥は大体種別ごとに逃げる距離が変わってくる。鳩と雀が典型的。

猫は、鳥よりは知的であるから、きっと経験によって宗派が変わってくるのだろう。

町を歩いていると、野良猫はどこにでもいる。でも、野良犬は滅多に居ない。僕が小さい頃は少しは居た気がする。

何故居なくなったか。それは多分危険だから。

誰に?人間にとって。

犬の中に危険度の個体差はあっただろう。でも、結果的に全ての野良犬が消えてしまった。

少なくとも都会では、犬は飼い犬としてのみ生きている。

逆に考えよう。

猫は何故駆除されない?

あれだけ大きな体躯をしているのに、なぜ共存出来ている?

憲法9条を守る人たちがいる。

日本交戦権が無く、いつでも攻める事が出来るからこそ、いままで攻められないで生きてこれたという人たちも居る(容易に反駁しうるが)

でも、少なくとも日本は、猫にはなれない。

猫として生きるには、その規模が、能力が、活力がありすぎる。

犬がいくら猫らしいそぶりをしても、犬として駆除される。

逆にヒョウが町中を動いてても通報物だ。

日本は数十年前までは野良犬も含めた犬だった。

そして、ある時から首輪をつけられた。

首輪をつけられる代わりに、安息を得た。

ある時は飼い主は飼い犬の能力に恐怖を覚えた。

ある時は飼い犬を上手く使い、報酬を得た。

これからどうなるのかはわからない。

飼い主が他の動物に興味を持つ、あるいは他の動物と付き合うのが合理的だと判断したら?

あるいは犬がその首輪をはずし、再び野に帰る?

その首輪は今調整されようとしてる、その是非は?

社会は”社会”と名のつく限り、どこか近似があるし、

大きかれ小さかれ、共通点を見いだせる。

それは僕の持論。

こんな文をもう少しアカデミカルにして、一回も出た事無い

授業の課題で出したら、

その先生単位をくれた。世の中は平和だ。

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