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2024-05-24

40歳なってもたまに思い出す中学時代上級生のいじめとか暴力

 わりと容姿端麗な中学一年生だった気がする私は中学陸上部に入った。

 しかし、そこに待ち受けていたのは上級生の支配暴力いじめだった。

 暴力指導の一部であるという文化がまだ残る体育会系部活動宿命だったのかもしれないが。

 私は中学陸上部で2年生から毎日のようにこずかれ泣くまで殴れることもあった。

 理由は1年の分際で上級生のリレー選手に選ばれたことだったかな。

 まあ、物は隠されるは同級生をに指令を出して色々な嫌がらせを受けたが1年我慢した。

 2年になってもいじめはなくならなかった。

 そしてついに私は切れた。

 陸上部顧問いじめ実態を告げてこれ以上は陸上部活動できないか上級生のT先輩を辞めさせてほしいと直訴した。

 が、やつはキャプテンからお前がそのような目に合うのはお前の日頃の行いがそうなってるのではないかと言われた。

 えええ? まじかよ。

 毎日嫌がらせを受けながらも必死トレーニングを続けて中学ジュニアオリンピック候補にまでなったにな。

 そして私は陸上部を辞めた。

 そして、その後は平穏に無事に過ごし普通に勉強して社会人になり普通に暮らしている。

 が、ときたま思う。先輩のいじめ暴力がなければもう少し陸上頑張れたんじゃないかなと。

 そんなことを年をとっても思い出す。

 年をとっても思い出すくらいにifを期待する。

 あの時、陸上部の先輩や先生を訴えることができたらなぁーと今でも思う

 法律にとことん無知だった子供時代を凄く残念な気持ちで思い出す。

2024-04-07

anond:20240407091907

桐蔭がまさにそうだが、神奈川高校野球上位校は、だいたいこれか、このポジションを目指しているかだね

特進の進学実績で指定校枠を確保し、指定校枠を餌にスポーツクラスの生徒を集め、甲子園インハイジュニアオリンピック知名度に寄ってきた普通科資金勢力拡大していくやつ

2023-09-07

本当に俺はただの凡人なのか

初めてここに文章を残してみる。

こういう場所文章を書くのは初めてのことだから

改行がどうだとか、段落の後は1マス空けるとか、そういう文章上のルールは一旦無視する。

ダイアリーとあるからには自分語りも許されるだろう。

俺はもう30になる。

23歳で結婚して、26歳で1人目、

28歳で2人目の子に恵まれた。

27歳のとき田舎ではあるものの、

人並みの一軒家を購入した。

理想的人生だと思う。

クセのない、みんなが頭の中で思い描くような。

仕事についてもなんだかんだで

IT系会社で勤務していて、

それなりに出世できそうなポジションにいる。

要は「無難」と言える様な人生を歩んでいる。

しかし、俺は満たされているのかと問われれば

素直にYESと言えなかった。

これは安いプライドなのだと思う。


少し生い立ちを振り返る。

自分で言うのも憚られるが、

俺はきっと優秀な子だったはずだ。

小学生の頃に関してはあまり記憶が明確じゃない。

さな体でサッカーをして、

友達ケイドロをして、

ロックマンエグゼポケモンをしていた気がする。

中学生になったとき、俺は地元公立中に

進学して部活を始めた。

小学生のころからやっていたサッカーではなく、

バレーボール部に入部した。

バレー部に入ったのは、

サッカーJリーグジュニアユースチームで

やることになったからだ。

当時、俺の中学強制的

部活に入らなくてはいけない決まりで、

サッカークラブチームに入っている子は

サッカー部には入らない子が多かった。

理由は単純で、大会において

籍がクラブチームにある子は

中学のチームで試合に出れないからだ。

結論から言うと、俺はジュニアユース

全国ベスト8まで行ったし

u15日本代表合宿にも呼ばれた。

それと同時に、片手間のバレー部では

ジュニアオリンピックの県選抜に選ばれた。

俺は自分のことを天才だと思った。

それは当然驕りであり、

もっと自分を戒めるべきだとったはずだ。

でも、そんなことが15歳の中学3年生に

出来るわけがなかった。

ユースチームからの昇格内定も出ていたし、

バレーボールでも県内、県外の強豪から

スカウトが来ていた。

俺は将来、サッカープロになるだろうなと

当時は漠然と思っていた。

そうはならなかった。

怪我でも何でもなく、

俺は自分より年下の子にあっさりと負けた。

チームとしてではなく、個人として。

挫折を知らない自称天才は、

このとき簡単に折れてしまった。

俺はサッカーを辞めて、バレーも辞めた。

地元偏差値60程度の高校に進学して、

アニメオタクとして3年間を過ごした。

大学も同じようなものだ。


器用貧乏だった。

器用貧乏というには、少し器用すぎた。

俺のサッカー万年1回戦負けの学校でも

レギュラーになれないレベルだったら?

俺のバレーボールサーブカット

まともにできないレベルだったら?

俺の偏差値が40で地元工業高校に進学していたら?

もっと早くに諦めがついて、新しい道を探せていたんじゃないのか。

先にも述べた通り、俺は今それなりの生活を送っている。

それでも、後悔や過去への想いが絶えない。

俺は特別な誰かになれたはずじゃないか?と。

ここまで読んでくれた人たちが言いたいことはわかる。

俺もうっすらと、しか確信めいている。

きっと俺は何者にもなれない凡人だ。

何回繰り返してもそれは同じなんだ。

俺と同じような思いをしてる人もいるだろう。

これから俺と同じような思いをする人もいるだろう。

俺が自分人生を通して、言いたいことがある。

それは、「お前たちは凡人だ。早めに見切りをつけて、優れた凡人になれ。」ということじゃない。


お前たちが仮に凡人だったとしても、

お前たちが凡人である証明を時の成り行きに任せるな。

やれるところまで突き詰めて、

本気で何者かを目指してくれ。

そうじゃないと過去に思いを馳せるだけの凡人になる。

何者にもなれない。

ということだ。


俺は幸せな凡人を目指していく。

 
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