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2008-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20080404073011

むしろ、ツチ族受験生政府軍=日教組と考えれば、プリンスホテルマンとしての職務と全うしたと言えるだろう。

2008-04-04

結論は正しいが過程が間違ってる

内田樹さんのプリンスホテルの議論(http://blog.tatsuru.com/2008/04/03_1313.php)だが、http://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんの議論は、結論は正しいが過程が間違っていると思う。

http://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんによる内田さんの議論の再構成はこういうものだ。つまり、内田さんが

A. ルワンダのような極限状態で人助けをするには超人的な勇気が必要で、それを要求するのは無法。

B. プリンスホテルが当時のルワンダにあれば、躊躇いなく客を政府軍に引き渡した。

C. 平時に卑劣な人は極限状態でも卑劣

と述べていることから、以下のように組み立てる。

(1) 極限状態で客を助けないのは、卑劣ではない(Aから)

(2) プリンスホテルは、極限状態で客を助けないだろう。(B)

(3) 極限状態で卑劣でない人は、平時でも卑劣ではない。(Cの対偶

(4) したがって、プリンスホテルは平時でも卑劣ではない。

この再構成がおかしいのは、Aの翻訳である(1)だ。Aが述べているのは「ある人が極限状態で客を助けないからといって、その人が卑怯だとはいえない」ということである。つまり

(1') 極限状態で客を助けない人の中には、卑怯な人もいるかもしれないが、そうでない人もいる

ということ。したがって(4)のような結論は出てこない。

(「私は別にこのような超人的な勇気グランドプリンスホテル新高輪のマネージャーも持つべきだというような無法なことは申し上げない。」とあるので、本当に内田さんが「助けないなら卑怯」といっているかどうかには疑問があるが、一応議論の流れに乗っておく)

しかし(1')と(2)を組み合わせると、

(*) プリンスホテルは、卑怯かもしれないが、そうでないかもしれない。

という命題が出てくる。おそらく内田さんはこういうことを言いたいわけではないだろうが、これは内田さんの議論がちょっとずさんだから。というのは、内田さんは次のようなことを書いているが

もしグランドプリンスホテル新高輪のマネージャー内戦時代のルワンダホテルマネージャーをしていたら、彼はためらうことなくツチ族顧客全員を政府軍に差し出しただろうということである。

...

だが、私の経験が教えるのは、平時に卑劣なふるまいができる人々は、軍国主義の時代や恐怖政治の時代にも同じ種類のふるまいを(もっと葛藤なしに)できるということである。

これは結局

D. ツチ族顧客全員を政府軍に差し出すことは卑怯/卑劣である。

ということであって、(1')と矛盾してしまう。ということで、わたしはhttp://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんの結論

この人ほんとに学者

には同意してしまうのである。

たぶん内田さんがやるべきだったのは、戦時中であればプリンスホテル中の人がやりそうな------しかしそれをしないには超人的な勇気を必要としないような------卑怯なこと(しかし、彼らはそんなことは人道上しないといいそうなこと)の例を挙げることで、そうすると、プリンスホテル中の人がいかにひどいかと言うことを描写できたのだが、例を出すのをケチってしまったので、こんなことになってしまったのである。

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